南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (36)

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     南海の女王はもう二度とスラカルタ王宮を訪ねたり少なくともSusuhunanのサルタンの妻にはならないという話が特にジョクジャカルタの人たちの間で伝わっている。スラカルタの宮廷に近いスラカルタの人たちの話しによると、南海の女王は現在サルタンの妻というより継母であると理解されているとのことである。この意見は、サルタンの父親であるPakubuwono十世が彼女の息子であることを表明したという神話に基づいている。スラカルタの一部の人たちは、Pakubuwono十世の生育中に南海の女王がスラカルタの王宮を訪ねた時、養育係たちは女王を伴ってこの王子をその座から追い落そうとした霊界の軍人に脅されたのであった。南海の女王は養育係に対して怒り、自分の子であると言ってその子を取り上げようとした。この神話は第二次世界大戦終了以来、神託がスラカルタからこの王家の没落をもたらそうとすることを避けたという信仰と深く関係している。ジョグジャカルタの複数のスポークスマンは、南海の女王がSusuhunanの妻ではなくなったにせよ、ジョグジャカルタのサルタンとの関係はそのまま変わりなく続いていると述べている。サルタンは一度も第一夫人を指し示したことはないという事実は、以前のサルタンたちが支配していた時と比べてその重要性は比較にならないほど評価が高くなっているとはいえ南海の女王がその地位に存在しているという説が固く信じられている。


    南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (35)

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        海の女王はこの両方の宮廷での儀式と最も清い宮廷舞踊、特にbedaya ketawangとbedaya semang[1]の舞に焦点を当てられている。彼女はサルタンとスラカルタのSusuhunan宮廷[2]を彼らの即位記念日に毎回訪れると信じられている。この機会に彼女は新婦の服装で現れサルタンと一夜を過ごすのである。スラカルタの宮廷ではSenopati[3]と南海の女王との結婚を描いた伝統儀式に関連して舞踊が繰り広げられる。同じ舞踊がジョグジャカルタでも行われていたが、はっきりとした理由はわからないが、この舞踊は1930年代には執り行われなくなった。ジョクジャカルタではこの舞踊とガメランの楽曲をもってこの伝統を再興しようとするための行動が既にとられている。この練習は既に開始されているが、この舞踊はまだ実施されていない。踊り手が病気になったり予定されていた開催日に凶兆がしょっちゅう現れたりするのである。この件は、南海の女王がジョグジャカルタ王宮で開催されるこの舞踊を望んでいないことを王宮の人たちに信じさせるのである。これこそが彼女が現代スラカルタにおいて相当に重要とされている理由である。<70>スラカルタ宮廷の優越とその証明は、上記の舞踊を維持できているジャワの宮廷はスラカルタのみであるということに基づいているのである。

       

      [1] ジャワの宮廷伝統舞踊。どういうものかはYoutubeで動画を見てください。

      [2] 18世紀初頭にジョグジャとスラカルタに王宮が分裂した。

      [3] 現マタラム王朝の創始者。


      南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (34)

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          国民のための王座の説明」(Menegaskan Tahta untuk Rakyat)という本の中で、Hamengku Buwono十世は中立的にぼんやりとではあるが南海と南海の女王に関して解説を述べている。

        私にとって、それは結婚の象徴であるという概念の形式を有している。この時代に大衆がこの結婚の象徴ということを信じるのなら、この社会、特にジョグジャカルタの社会にとってそれが有益であることを意味している。しかし国民の熱意を知らなければ私は何の意味があるのであろうか。というのはその結婚の象徴は垂直かつ水平な関係であるからだ。国民はこのように均一で常に動きを止めない海として表徴される。このことは支配者としてmanjing ajur ajer[1]をしなくてはならないことに密接に関連している。その一つは身分の証明[2]としてであり、他方は象徴化としてである(Margantoro, dkk., 1999:197)

         サルタンのこの解説はサルタンHamengku Buwono 十世が要求されているそのどちらでも確かに現状でも彼のおかれた状況を関知しており、国民が信じている伝統的な規則をまったく揺るがさないようにしている可能性がある。

         

        [1] ()その社会に溶け込み仲良くすること。

        [2] サルタンが南海の女王の夫であることの証明。


        南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (33)

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           国民を震駭させる自然災害や事件が起きた時にはサルタンは直ちにその意味を理解しなくてはならないのである。その超能力をもってサルタンは国民の安寧を図り、自然との均衡を取るべく超自然的な存在と連絡を取らなければならない。<68>自然災害も、Juru kunci Pemancingan Segara Kidul (Parangkusumo)によって見られるように、厄払いあるいは海神祭り(labuhan)を止めるようなことがあった時に起こりうるのである。

           

           ジョグジャカルタ・サルタン国[1]にある精糖工場は、毎年の操業開始前に南海の女王への祈祷への供物を常に行っていた。しかし、Nur(仮名)氏が所長になった時に、操業開始前に彼は忙しさに紛れてこの供物を行うのを忘れたのであった。事実、操業中にすべての圧搾機に故障が発生した。南海岸でその供物を行った後はその圧搾機は普通通り動いたのであった。

           

           ジャワ人の人生のサイクルの中で、自分たちを取り囲む超自然的な存在あるは霊の支配者に供物をささげるための義務となっている。上記のジャワ人の毎日の生活の中で認識される信仰であるので、サルタンは自分たちを取り囲む超自然的な存在あるは霊の支配者との関係をつなぎとめるためにこれを行うことを要求されるのである。<69>

           

          [1] ジョクジャカルタ特別地域


          南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (32)

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             南海の女王の霊界の軍隊はSenopatiが海岸地域の諸王国を攻撃した際やSultan AgungとHamengkubuwono一世のオランダ反植民地運動を起こした際に彼らを支援したと信じられている。口伝によると彼女はインドネシア革命の際にHamengkubuwono九世に支援をもたらし、第二次世界大戦の際には日本海軍を降伏させることに尽力したという。ジョクジャカルタの多くの人は、インドネシア海域に入ってくる不純な目的を持った船を南海の女王が沈めるので、インドネシアでは強力な海軍は必要ないと信じている。南海の女王は極めて危険な霊界の軍隊を支配しているのである。彼らの一部はジャワ南岸の「原住民」である。一方それ以外はジョグジャカルタのサルタンが女王に送った軍隊である。ジョクジャカルタ王室の建国に関係する神話は、Hamengku Buwono一世は彼のサルタン国内のすべての霊を降伏させたと述べている。そのうちのいくつかはイスラムに改宗し、その他は南海とメラピ山に隔離されたのであった。

             


            南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (31)

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              南海の女王とPanembahan Senopatiとの結婚は空想的な文学で広く大罪とされている。文学と民間神話では、南海の女王とPanembahan Senopatiとの邂逅は恋愛物語としてしばしば描かれているが、いくつかの別な物語では南海の女王がPanembahan Senopatiの肉体を破壊し彼女の王宮にとどめておくようにしようとした謀略であったとも言っている。このように、南海の女王はしばしば美しい若い女性として描かれているが、他方、醜い老女としても描かれている。<67>宮廷の理論では、彼女は満月に近づいた時には若く、それを過ぎると年寄りとされている。

              あまり人口に膾炙していないBabad Tanah Jawiによると、SenopatiはSunan Kalijagaの支援のおかげでこの謀略から助けられたとのことである。一方、南海の女王がPanembahan Senopatiに与えた幾つかの物、Telur lungsu jagadとminyak jayengkatonを数人の宮廷使用人に対しSunan Kalijagaが試してみた。Telor lungsu jagadは後日醜い巨人に変身してしまうKi Juru Tamanへ、minyak jayengkatonはSenopatiの身の回りの世話をしているKi KosaとNini Panggungに与えられた。この二人に油を数滴たらすと、姿は消え失せて幽霊と変化した。巨大な幽霊となったKi Juru Tamanは、Sunan Kali JagaによってMerapi山の支配を命じられた。一方Nini Panggungはジョグジャカルタの宮廷のKi Kosaは宮廷前広場にある霊界に住むことになった。数々のBabad Tanh Jawiの版では上記の南海の女王の謀略の記述が削除されている。


              南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (30)

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                 南の女王(Ratu Kidul)はジャワの宗教において重要な位置を占めている。彼女は南海冥府の女王であり中部ジャワの霊たちの指導者である。また、彼女はマタラム諸王の妻になり、宮廷で最も重要ないくつかの伝統儀式に焦点を当てているのである。Babad Tanah Jawiと口伝によるとPanembahan SenopatiがLipra[1]で啓示を受け取り、彼は苦行を行うために南岸に一人赴いた。その目的は、Sultan Pajangという敵を降伏させるために必要な超能力を開花させるためであった。希望する権力はかなり多くの瞑想を通して吸収され、海がしけて大部分の魚が死んで海岸に打ち上げられた。その時南海の女王は、宮廷での結婚式に用いるような衣装で非常に美しい若い女性として現れたのであった。彼女はSenopatiに苦行を止めさせその代わりにその妻になり、霊界のすべての軍隊をSenopatiの政府の下に置くことを申し出でたのであった。Senopatiはこれを受け入れ彼女と共に結婚式が行われる海中の宮殿に行ったのであった。

                 

                [1] 原文ではLipraとあるが、websiteではLepra(らい病)となっているものが多い。


                南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (29)

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                  毎年、特別な伝統行事の一部がgarebeg[1]の儀式や他の国家的儀式の催行をもって行われている。この件は超能力の一部が国民にしみこむことを可能ならしめている。宮廷から持ち出すことができるものが何かを決めることができるのはサルタンのみである。その選択は各々の宝物に込められた超能力の種類と国民たちに必要な条件で決定されるのである。

                  王とのその代理人は、彼らが長時間にわたる苦行を行う能力があることで尊敬されている。これは、洞窟の中や川のほとり、樹上あるいは人が入らないような森の中の石の上が一般的な断食を含んでいる。正統な伝道師たち、Sunan Kalijaga、Senopati、Sultan Agungは何週間や何カ月にも及ぶ断食修行耐えられると信じられている。彼らもまた、海水を煮立てたり全世界を破壊することができる超能力を備えていると信じられている。その大部分は世を捨てることによって諸王が敵を降参させたり霊界を支配するための能力を醸成することである。すでに試みた多数の人たちはいるが、諸王のみならず昔の伝道師によって行われたことに近づくために苦行を行ったが誰一人として成功したものはいないと広く信じられている。<66>二世紀余りにわたるオランダのジャワ支配と彼らの権力(西洋的理解による)は、ジャカルタの分割された政府によって承認されこの地位に関する重要証拠として取り上げられた。ハメンク・ブヲノ10世は、彼自身が正当な軍隊の司令官になった最後の王であるからたぶん除外されるであろう。現代の諸王の不可能さは修行を行うことで、その影響として、驚異的な新しい権力の集合を吸い込むことができなかったことは、輝かしい王朝時代の権力を囲んでいる宝物に対する極端な礼拝の発展に影響を与えた一つの要素である。

                   

                  [1] 一年に三回行われるジョグジャカルタ王宮の伝統儀式。


                  南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (28)

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                    南海冥府の女王という点以外にも、このような遺産建造物はジャワの宮廷の信仰では極めて重要な役割を果たしている。各々の遺産建造物は常にジャワあるいはイスラムの歴史において権力を有した特定の人物と関係している。(遺産構造物の大多数はSenopatiあるいはSultan Agungの所有であると信じられている。そうでないものはイスラムの伝道師とムハンマドの幾人かの子孫と関連付けられている。) この中部ジャワの第二の宮殿は数百の遺産を有している。その中で最も重要なのは各種の儀式の際にジャワの男性が用いる短刀Keriや槍、18世紀の宮廷馬車、ガメラン、聖典、ジャワへのイスラム伝道師たちとムハンマドに対する信仰である。この遺産のいくつかの部分は軍事目的として特別に利用され、その他は病虫害(稲に損害を与えるネズミと害虫)、さらには豊作と畜産の成功を祈願するため、またイスラムへの改宗する一助のための神秘的能力を有するのである。<65>ムハンマドの誕生記念祭の儀式で宮廷のモスク広場で演奏されるGemelan sekaten(中部ジャワの伝統儀式に用いられる音楽)はここの神秘的能力があると信じられている。このGamelanは一般的な楽器と比べると二倍の大きさがあり[1]、数キロメートル先からも聞こえるほどである。伝説によるとこの楽器はヒンドゥー教徒をモスクに誘うためにDemakの初代サルタンが使ったものだとのことである。Kartasuraの宮廷が所有している二つのgamelanがある。宮廷が二つに分かれた時、一つはジョクジャカルタに、もう一つはまだスラカルタに与えられた。それぞれの宮廷は必要に応じてレプリカを所有している。モスクで演奏される音の一つは南海の女王が調律したものと言われている。それは受難したその子フセインの死の故にムハンマドの姉妹の悲しみに似ていると信じられている。

                     

                    [1] ()ガメランに詳しい友人の話では楽器の大きさは2倍とまではいかないとのこと。


                    南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (27)

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                      南海冥府の女王と出会うための伝統儀式と瞑想を行うために、ジョグジャカルタのサルタンは南海地域に行くことは必ずしも必要とされないがゆえに、宮殿の中にも南海冥府の女王と出会うために特別にしつらえられた場所がある。ジャワ人たちはジョグジャカルタの宮殿のTamansariにあるGumulingの井戸とUmbul Binangunはジョグジャカルタの宮殿と南海にある宮殿とをつなぐ地下トンネルを有していると信じている。

                      Gumulingの井戸 

                      Umbul Binangun

                      この地下トンネルはサルタンHamengku Buwonoが南海冥府の女王と連絡を取りたいときのルートであると信じられている。Tamansari自体はサルタンHamengku Buwono一世が1758年に建設したものである。Praja Tamansari群こそが、サルタンと南海冥府の女王が出会うための特別な部屋としても建てられたのである。


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