南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (22)

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    最重要やジャワの「勝利への崇拝」の要素を啓示が形作っているとはいえ、それに関して傾注するのは、王が宗教上の証明書の源と他の超能力の権限をコントロールすることを彼が可能ならしめるという事実から始まるのである。彼は繁栄と社会の調和の最後の源であるからして、彼は王を権力の正道と良い人間性を形作る神の恩恵に向かわせる。上記の宗教上の証明書と権限の源をコントロールする形のひとつは、南海の支配者である南海冥府の女王と王を結びつけるネットワークなのである。したがって、ここでの南海冥府の女王の立場は例えば王とアッラーとをつなぐ橋のようなものであり、神から王への啓示の一つの方法は上記の南海冥府の女王という霊的な存在を仲介するものである。


    南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (21)

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       必ずしもすべての王が啓示を受けたわけではなく、啓示を受けた王も、アッラーの目的を満足させられそうになかったり、過度の威光で宗教上の義務を無視した場合には、消滅したのである。これが生じるとこの王の性格が過激的に変化し、慈愛の心が変化して争いを好むようになり国民を搾取するようになる。Moertonoは、啓示を失った王を「その前に置かれた木と戦うヤギ」と同じであると言っている。(1969:74) Babad Tanah Jawaは、啓示を失った影響についてこう述べている。<59>

       王の行動がそれまでと変わった時、しばしば厳しく刑を言い渡したり残虐な行為をするようになる。王宮の高官と宮廷官吏、王の親戚たちは自分たちの地位を心配するようになり、しばらくすると秩序が激しく崩れる。Mataramの全国民は不安感を持つようになり、日食や月食が頻繁におこるようになり、季節外れの雨が降り、毎晩流れ星が見えるようになる。火山の降灰と地震が何回も起きる。多数のきざしがみられるようになる。これこそが王国が衰亡に直面する予兆なのである。

       ジョクジャカルタとスラカルタの社会の一部では、現代社会におけるこの二つの王国の利点を開設するために啓示という概念をしばしば用いるのである。幾人かの人たちは、この二つの王国は衰亡をたどりつつあり、彼らへの啓示はOrde Baru(新体制)時代のインドネシア大統領のスハルトに移ってしまったと言っている。この見解は、多くの政治的な後退と独立以来の自然災害を体験したスラカルタで一般的になっている。そこの宮廷の大部分が1987年に火事で焼失した際、王族の人たちのみならず大衆も宮廷への啓示がすでに消滅しもう戻っては来ないと見たのであった。この状況で、スラカルタは、ジャワ人がデマックとマジャパヒトを見るように、すなわち魂がこもっていたことがあった国としてよりも歴史への崇拝要素としての方が勝っている、なり始めたのであった。この状況はジョクジャカルタとは異なっており、同地ではHamengku Buwono IXが確実に啓示を有しており霊界から十分な支持を得ていると信じられている。与えられた啓示はその王国を援護する特殊な形であるからゆえに、日本占領下であっても革命など中部ジャワでの政治的な混乱の時代でもそのまま維持されたのである。


      南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (20)

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        ジャワ文学で啓示を受けた人でもっとも有名な人の一例は、落ちた流れ星を通じて啓示を受け取ったとされている、マタラム王朝の創始者Panembahan Senopatiである。<58>この神話は啓示の意味がそのことを通じた神の約束の託宣であったとみられる。光からなる星や光線は、それを通じて発表されたアッラーの権威の道であり、創造に関するスーフィーの理論では命の源泉、天国と地獄、アッラーの王座と全ての存在であり、啓示の象徴となっている。アッラーはしばしば白い光線で代表され、クルアンの中の例え話の理解によってこのように言われるのである。星も預言者ムハンマドの啓示の象徴として有効である(Al’Qur’an/53:1)[1]

        ジャワ人は啓示に何種類かあると信じている。もっとも重要なものは大臣と軍隊、イスラム教師を伴った王である。アッラーがこの世で何かを成し遂げようとしたときに、神は適切な人間を選び出し、この仕事を実行することを可能ならしめるような啓示を送るいうことがしばしばみられる。

        この啓示はアッラーが下したものであるが故にもそれを受け取った個人はその仕事の途中で失敗することはなく、この問題がいかに大きくとも小さくともまったく気にしないのである。この限られた範囲において、行動はアッラーの意志通りに直接動かされるのである。啓示によってその権力を得た王は転覆させられたりその罪や間違いに降伏させられることがない。その人は、この世のアッラーの代理人としてKalifatullahと呼ばれる。Serat Centhini (Mudjanto 1986:107)は、アッラーの代理となった預言者ムハンマドの代理が王であると述べている。スラカルタのPakubuwono 14世は、自分を神の代理人だと考え、神に対して反逆すると同じように王宮の権威に反対することを同一視することによってこの状況をより明確に発表している。(Mudjanto 1986:107)

         

        [1] 星章(アン・ナジュム) マッカ啓示62節

        1.沈みゆく星にかけて(誓う)。

         


        南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (19)

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          第四節         Wahyu keprabon(神の啓示)と南海冥府の女王との関係

           

           ジャワ社会では、政府組織の頂点に位置する人は「神の啓示」を受けた人であると信じられている。。しかしながら、高い地位にある人は啓示の陰にいるというのは必ずしも当たっていない。賄賂やマネーポリティックスなどの狡猾なやり方で引き寄せた権威は啓示を受けた(Ketiban ndaru)地位には含まれないのである。地方政府の長であれ中央政府の高官であれ本当に民意に基づいてその地位に達した人や、正しい方法でその仕事を進めることができる人が神の啓示を受けた人であると呼ばれるのである。このカテゴリーは、そのすべてが人間の分別を越えたところで動いていることを考える必要があり(meniscayakan)、従ってこれらの長たちは国民を統治すべしという啓示を得ていると考えられている。

           指導者に与えられた「啓示」に関する概念は、その清さ、神の代理であるとの確信と宮廷への信頼が融合したもので、Moertono (1968:52)によると、それは「栄光への信仰(Cult of Glory)」のように呼ばれるものにその基盤を置いているとのことである。ジャワの宮廷に対する信頼から出てくる詳細事項はこのように複雑であるとしても、実際にはやや少ない宗教の諸原理にその根底があるのである。その中には啓示、超能力、王を神の使徒と同一視すること、神秘との単一性に関する聖人(スゥフィー)の学説などがある。

           ジャワイスラムの文脈における啓示の概念とは、預言者たちと伝道師たちと優れた王から成り立つアッラーに選ばれた信徒に対するアッラーからの連絡のことである。この「連絡」は天使や選ばれた伝道師、聖霊、聖なる性質を持つ物質の仲介を通じて可能となった。普通、それは物理的存在として認識され、一人一人に尊敬と神聖さを届ける輝かしい光からしばしば成り立っている。啓示を受けた人は内臓から放射される柔らかな光を放っていると信じられている。

           

          続く


          南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (18)

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             その男性とはよく通る声でCinde Mayaに問いかけて叱った預言者Khidir ASであった。彼は、人間として自殺行為を行うことは大きな罪でありアッラーには許されないものであり、その結果は地獄行きであると忠告した。この恥辱に耐えるためには何をしなくてはならないのだろうかと泣きながらCinde Mayaは言った。預言者Khidir ASによると、それは恥辱ではなく、アッラーが与えた運命であるとのことで、神の許しを得てKhidirはCinde Mayaに、南海の冥府に住みジャワの南海岸の自然環境を守ることにしたらどうかと申し出た。Cinde Mayaはそれに同意していまに至るまでRatu Kidulの名で知られる南海に住むことになったのであった。

             その疑問とは、海の中から出てきた絵にある美人として描かれたのは本当には誰であるかということである。この女性はNyi Blorongであり、Ratu Kidulの娘であり軍司令官である幽体である。人間とは衣服も肉体なども同じにしたくないというように彼女の性格は良くないのである。陸上部分はCenting Manikという幽体に、北海岸地方はDewi Lanjar (死霊)に支配されている。このNyi Blorongも世間ではNyai Rara Kidulとして知られているものであり、Rara Wudu sang Ratu Lara KidulとしてHienが特定したものである。(Suyono, 2007: 127-128)。Nyai Riya Kidulと呼ばれることもある。

            まとめると、Ratu Kidulは肉体的老化の過程を経たアッラー「そこにあれ」の言葉により存在した人類でもあり、彼女は、自分の子孫を常に守護することで二つの世界に存在できるという神の恩恵を得たのであった。Haya min autiha ka bada min sahadati (ヘブライ語で、「人間として我々の風習が有効になることを記憶せよ」) <57>

             

            続く


            南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (17)

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               確かに、とある日Panembahan Senopatiが森で狩りをしていたとき、大変な美人に出会い、彼女の上品な言葉遣いに魅せられた。最終的に、その女性は森の中に一人だけ取り残されていたのでPanembahan Senopatiの住居に案内した。Panembahan SenopatiはWaliたちに、この女性は理想的な妻の候補かどうかを説明した。実際にはその通りであり二番目には結婚するようにとのことであったが、Panembahan Senopatiはwaliたちからの命令である40日間妻には触れないということを忘れてはいなかった。

               

               三日目に、彼の方針とジャワ島南岸へのジャワ社会の態度を変える出来事が起こった。すなわちPanembahan Senopatiが彼の妻の蚊帳の横でクルアンの読誦をしていた時、一人の男がその蚊帳の中にいるのを見てしまった。実際にはその蚊帳の中の男とは、妻のDewi Sri Pohaci (当時はCinde Mayaと名前を変えていた)の弟のJaka Manggalaに違いなかった。Panembahan Senopatiによる各章の読誦から発せされたエネルギーの熱に耐えられずJaka Manggalaの形が姉の恥部からはみ出ていたのであった。

               

               Panembahan Senopatiは妻が不正を働いてJaka Manggalaに追いかけられているかどうかをちょっと考えたが、彼が追跡できないほどの速さですばしこく逃げ出すことができた。住居に戻ってきたとき、Cinde Mayaは部屋にはおらず、正しく信仰を持つ男性であり夫であると納得したPanembahan Senopatiに対して羞恥心が働いたこともあって逃げ出したように見えた。最終的にCinde Mayaは自殺するつもりで南岸の崖の上に急いで行った。自殺しようとしたときに一人の男性が彼女の肩を抑えたためにCinde Mayaは自殺を中止することになった。この男性とは誰だったのだろう?


              南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (16)

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                 南海の女王とはどういう関係だったのか。Aji SaktiにはDewi Sri Pohaci (しばしばCinde Mayaとも呼ばれる)とJaka Manggalaという二人の子供がいた。Dewi Pohaciの美しさのゆえに王族はもとよりたくさんの男が彼女を娶りたがっていたので、Aji Sakaは懸賞をかけてJaka Manggalaを超能力で打ち負かしたものをDewi Sri Pohaciの婿に指名することにした。時が流れても、どんな男性もJaka Manggalaを超能力で打ち負かすことができなかったゆえにDewi Sri Pohaciは物思いにふけるようになり、すぐには結婚できない自分の運命を悲しむようになった。Jaka Manggalaは姉のDewi Sri Pohaciをいつまでも深く愛していたが、姉のこの態度はJaka Manggalaに間違えた行為をしているという感じを持たせた。

                 

                 熟考の後、Jaka ManggalaはDewi Sri Pohaciの前から姿を消すことにした。姿を隠すが姉からは遠くにはいないという条件でDewi Sri Pohaciが理想の男性と結婚できるようにと。その方法とは?彼の超能力でJaka Manggalaは姉が理想の男性に出会うまで姉の恥部にもぐりこんだ。

                 

                 月日は流れ幾世紀の後、ジャワ手はイスラムの時代に入った。とある日にWali SongoはPanembahan Senopaiを呼び、彼が体験する大きな事件があることをを伝えた。Panembahan Senopatiは、お前の妻になる理想的な女性に出会うであろうが、結婚後40日間は肉体関係を持ってはならず、その間はあらかじめ決められた前庭で深夜の祈りを行うこと、と言われたのだった。

                 


                南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (15)

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                   Aji Sakaは論戦を挑み宝物を得ようとしたが、常にAji Saktiに否定されたため二人の兄弟の間で舌戦と実際の戦いになったが、Aji  Putihは常に謹厳実直であった。ここで、忠実な謹厳実直さはよい結果をもたらした。<54>兄弟の争いは勝負が定まらず何年もそして何世紀も続き今に至っている。この争いに飽き飽きしたため、Aji Sakaは最後には東部、正確にはBayuwangi(Alas Purwo)地域に行った。ここでAji Sakaは開墾を行い、Daha,Kediri, Singasari, MajapahitからMataramに至る代々の王国を建国した。「この父にしてこの子有り」と言われるように嫉妬と権力への狂気は常にAji Sakaの子孫の行く手に伴ったため、Ken ArokとTunggul Ametung間、Tribuana Tunggal Dewiから、Surakarta宮廷は現在Mangkunegaranの支配権争いでさらに二つに割れてしまったが、YogyakartaとSurakartaに二つに分割されたMatram王国までの覇権争いの歴史にみられるのである。

                   Aji Putihはどうなったのであろうか?Aji Putihは子孫ともどもGaleuh Pakuan[1]王国を建国し、一方Aji SaktiはPajajaran王国を建国しただけで自分は王に即位せず大臣として国政に参加し、弟をAji Sakaの攻撃から常に守ったのである。

                   

                  [1] (訳) Galuh王国はその西側をPajajaran王国とCitarum川で接し、東側はCipamali川(Brebes)までであった


                  南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (14)

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                    第三節    南海冥府の女王は人間なのか幽体なのか

                     

                     著者がインターネットに掲載されている記事を焼き直したこの論文は記事の著者が不明である。

                     南海の女王とはいったい誰なのであろうか。ヒンドゥー時代の昔、ちょうどAji Saka, Aji Sakti, Aji Putihの時代にさかのぼってみよう。この三人は双子でYamuna[1]河に近いインドの王国のSungging Perbangkala王と妃Ratu Dewi Arumbaの間に生まれた子供たちであった。彼らは成人し釣り合いの取れた超能力と普通の能力を備えたので、三人は王に、Cakra BijaksanaとTiwi Kramaに常にともなっている月下美人の接ぎ木の花の宝を奪い合うように懸賞をかけさせた。この宝を獲得したものは王に指名するということであった。王国の大臣、Abiyasa、がこの宝を遠くに放り投げた。その後、三人の王子たちはそれぞれの能力を使ってこの宝を追いかけたのだった。

                     一時代が過ぎてその宝はインドネシアの付近、正確にはジャワまで達した。数か月間の捜索の後、かれらはジャワに到着した。

                     

                     時間的系列の話を省略すると、その宝物を発見したのはAji Putih (末っ子)であった。優雅で物静かな態度で、その発見の情報はAji Sakti (次男)にもたらされ、これはSang Hyang Wenang (現在の言葉では「神」)の意図であるとAji Saktiは語った。ついにAji Putihからその宝物を奪おうとする意図を持ったAji Saka (長男)に届いたが、Aji Saktiが防いだので宝物はAji Putihの手中にあった。その時、Aji Putihが、もし長兄がその宝を欲しがるなら与えようと言ったが、この宝ものを発見したものが王になるという父親の約束通りAji Putihこそ王になる権利を有することでAji Saktiはこれを謝絶した。

                     

                    [1] (訳) ウッタルプラデシュ州を流れるガンジス川最大の支流である。ジャムナー川とも呼ばれる。


                    南海冥府の女王 第二章 ジャワイスラム神秘主義と南海冥府の女王 (13)

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                      Kejawenで思ったような金持ちになるために呪文を唱えることは石像に対してではなく、あふれ出るほどの物質的な金持ちになるように人間を「好んで助ける」九つの霊に対してである。

                      この九つの存在に対する祈祷は致命的な過ちであり、この彼らは人間の目にはこう映るのである。(1) Jaran Penoreh – 頭を後ろに向けている馬、(2) Srengara Nyarap – 犬が咬む、(3) Bulus Jimbung – 大きな亀、(4) Kandang Bubrah - 壊れた小屋、(5) Umbel Molor – 垂れた鼻水、(6) Kutuk Lamur – ナマズのような目がよく見えない魚、(7) Gemak Melung – よく啼く鳥、(8) Codot Ngising – 脱糞する蝙蝠、(9) Bajul Putih – 白い鰐。

                      上に向かって礼拝したり「良い奉仕」を行って過ちを行ってしまった彼らにとって、彼らの心身は必ずsangkan paraning dumadi (聖なるもので、この世界で清く生活し聖な根所に戻る)条件の刑罰を受けるのである。彼らの魂が上記の世界で、最後の審判でアッラーが最終決定を下すまで刑に服すのである。<53>


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