南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(16)

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     ジャワの社会では、影絵芝居(wayang)に関する神話やジャワの日付に関する神話、南海の女王の神話などのように彼らの人生の参考の枠組みとして、いろいろな神話が利用されている。神話は象徴や概念を通じて聖なるものの存在を明らかにするということを意図している。(Dister, 1988:33)神の存在は遠すぎるので、宗教的訓練や神話という形を使って彼らの人生にそれを存在せしめるのである。聖なるものの存在は世界の安定を維持するためと種々の障害や人間の生命に影響を与える自然災害が起きないようにするという意図が込められている。前イスラム時代のみならずイスラム化した現代の人にとってもこの世界に対するジャワ社会の見方は彼らの人生にとって実に肝要なものである。南海の女王に関する話は、ジャワ人が興味を深く抱く幽体の存在に関連しており、この南海の女王の存在がまさにジャワ独自のものであるから、最終的にみられる神話は南海の女王に関するものであることは確かである。

     

    第二節「南海の女王とPanembahan Senopati」に続く


    南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(15)

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       確かにインドネシアの社会の一部の人は南海の女王に対する信仰を単なる神話としてしか理解しない人がいる。しかし、本当は、原則的に神話というものはジャワ人の一生と行動を認識するための原理として使われていることを思い出すべきである。南海の女王の神話はジャワ人の人生にたいへん大きな影響を与えているのである。Choyが「インドネシア、特にジャワでは、南海の女王の名前を知らない人は例外的である」といっているように、ジャワ人ほぼ全員が南海の女王がジャワ島の南に広がる海を支配する霊的存在であることを知っている。この存在は、南海の女王がすでに認識された文化遺産になってしまっており、世代間で受け継がれているということが証拠である。

       神話というのは口伝で代々伝わってきたものから出来上がった話であるから、多数の削除や追加を伴ってその話の展開はいろいろなバージョンができるのである。このようであっても、上記の神話の意図と目的は同じである。南海の女王の神話として知られているものの源への見方は少なくとも二つある。最初のものは、Penembahan Senopatiが南海の女王と関係を持ってからのものである。二つ目は、上記に記したようにマジャパヒト時代に書かれたKediri王国以降の物語が南海の支配者の存在について暗示しているものである。


      南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(14)

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        南海の女王とPanembahan Senopatiの出来事に対する宮廷の見方は、南海の女王の支配に対してこのようなWedhatama物語に記されている。

        Wikan wengkoning samodra.

        Kederan wes den ideri,

        Kinemat kamot hing driya,

        Rinegan segegem dadi,

        Dumadya angratoni

        Nenggih Kanjeng Ratu Kidul,

        Ndedel nggayuh nggegana,

        Umara marak maripih,

        Sor prabawa lan wong agung Ngeksiganda

         

        大洋の果てを知り、全てを探検した

        魔力は心に入り込み、一つになって掌握した

        それ故彼女は王になった

        さて南海の女王は、天高く舞い上がり

        祈りのために戻ってくる

        マタラム王国に対する影響を打ち負かすために


        南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(13)

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           昔々、後日王に即位することになるRadedn Sekar Tajiと結婚したPrabu Banjaran Setaの姉妹であるRetnaning Dyah Angin-anginという人がいた。この結婚から、Kliwon[1]の火曜日にRatu Hayuという名のお姫様が誕生した。この姫が生まれた時、天女とすべての霊的存在が臨席したといわれている。この女性は祖母のEyang Sindhulaによって、世界中で最も美しい女性になってほしいとRatu Pegedongと名付けられた。彼女は成人してあばたもなく、ビンロウの実を二つに割ったような母親似で本当な美しい女性になった。とある日、Ratu HayuあるいはRatu Pegedongが泣きながら祖母に美貌が永遠に続くことを願った。尋常でない超能力をもつ霊界となるように性質を変えるという条件で、Sindhulaの超能力で、美女のRatu Pagedonganの永遠の若さと肌で終末の日までの命を得ることができたのだった。

           霊体にその形を変えた後、Pagedongan姫は南海全域を統治しジャワ全土の妖怪たちを支配する権利と義務を父親から与えられた。Pagedongan姫は一生涯伴侶を得ることなく、占いによると、将来ジャワを統治する大王と会うことになるとのことであった。<127>このこと以来、彼女は霊界の女王として君臨し南海全域の支配権を持つようになった。

           

          [1] ジャワの暦の日の名前Pasaranのひとつ。Pasaranにはpain-pon- wage-kliwon-legiがある


          南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(12)

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             南海の女王に関する多数の観点があるが、その観点の源になっているのは南海の女王がマタラム王国の建国とPanembahan SenopatiあるいはDanang Sutawijayaと関連性があるということである。

             すでに述べた各種の物語以外に、宮廷の本にはやや異なる観点をもつ物語、詩人Yosodipuroの物語をもとにしたものがみられる。<126>Kediri[1]では、Jenggala王の王子でRaden Panji Sekar Tajiという名の、新領地を探すために故郷を離れたという話がみられる。新領地の探索時、白いガジュマルという名の白い葉を持ち長い気根を垂らした榕樹があるSigaluhの森に着いた。実はこの木はlelembut(霊的存在)がその王Sang Prabu Banjaran Setaとともにいる王国の都であった。

             この土地の将来を信じて、Raden Panji Sekarはこの森の木の伐採を行い、上記の白いガジュマルの木も伐採された。この木の伐採でlelembutの王Sang Prabu Banjaran Setaは喜び、直接現実の世界に消滅することでその人生を完成したのだった。この消滅は、あとでRaden Panji Sekar Tajiの体内に入ることになる光の形をとったため、Raden Panji Sakar Tajiの超能力を高めることとなった。

             

            [1] 東部ジャワ西部にある古い都


            南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(11)

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               今に至るまで、特にSurakartaのみならずジョグジャカルタの人達も宮廷と感情的なつながりをもっているジャワの社会の一部の人達は宮廷と関わり合いのある人たちだけではなくジャワの人達の各個人の信念として南海の女王の存在に関して確信を持っている。

               PurwokertoのBanyumas県の会議場で開催された2008年10月21日から24日にかけて行われた国際ジャワ文化フォーラムでのプレゼンテーションでのプレセンター、Surakarta宮廷の高位の人であるKPH. Dopokusumoは王子は南海の女王をどう見ているかという質問に対して、同氏は二つのことを回答した。一つ目は、南海の女王と王との関係は海と陸の両方の地域に関係している。王は陸を支配し南海の女王は海を支配している。それ故、この二人の「結婚」とは海陸を一つにして宮廷が支配するものである、と。二つ目は、大衆の宮廷に対する見解の基になっているいろいろな本や年代記に記されているような確信を宮廷の支持者は有している、と。

               上記の観点の源になっているものは次に述べる、Babad Nitikから引用したもののようであるのだろうか。

              “Gung pra peri perayangan ejim sumiwi Sang Sinom

              Prabu Rara yekti gedhe dhewe”

              全ての霊的存在は比類なく偉大な女王に祈りをささげる。


              南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(10)

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                 一方、ジョグジャカルタでは、1867年の地震で倒壊してしまったが同じような塔が存在した。(Lombard, 1996:118) サルタンと南海の女王との邂逅は、masjid Pendhem (地下のモスク)群がその中にあるSumur GumulingのTamansariで行われている。Tamansariは南海の女王とジョグジャカルタの王のための特別な施設である。それどころか、Serat Surya Rajaに見られるように、霊界に疫病や災害が生じた時には南海の女王がこのMasjid Rendhemに避難すると信じられている。(Ricklefs, 1974:85)

                 Hamenku Buwono IX世以来「老女」となってしまった南海の女王の地位はどうなっているのだろうか。ジョクジャカルタの人達にとって、Panembahan Senopatiの遺産のようにサルタンと南海の女王との関係に変化はないのである。サルタンと南海の女王との結婚は、日本を降伏させたインドネシアを支援することで1945年の暴力革命時代におけるHamengku Buwono IX世に対して支援を与えたのであった。この話がHamengku Buwono IX世からの強調でないところが残念である。<125>


                南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(9)

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                   Surakartaの宮廷は1985年まで、南海の女王を宮廷のあがめるもの(pepundhen)として位置付けてきた。1985年に焼損した宮殿を修復しようとしたときMasjid Pujasanaでの起工式でRT. PujadipuraはKRMHの命令を受けた。祈りをささげるためにRiyo Yosodipuroがいた。この祈りの中で、Nabi AdamとSiti Hawa[1]に対してムハンマドとその一族郎党、Nabi Khidir, Nabi Ilyas, Sunan Bonang, Sunan Kalijaga, サルタンHanyakrakusumoの関係を提示した。諸王の子孫達とともに、新宮殿の建材としてDonoloyoの森の木材に恩恵をたまわるように、祖先とともに、四方の方角の守護神Sunan Lawu, Ratu Kencanasari, Ratu Kedhaton, Ratu Kalayuwatiを祀った。(setiadi, dkk., 2001: 137-138) <124>

                   やがて、南海の女王とSurakartaの王の邂逅は、Pakubuwono III世の時代の西暦1781年に建てられた宮廷の前庭の北側にあるSanggabuwana舞台で行われていると信じられている。この四階建ての建物には王のみしか入れず強いパワースポットとなっている。

                   

                  [1] アダムとイブ


                  南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(8)

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                     南海の女王の地位の不明確さに関して新聞紙上で論戦が行われてはいるが、同女王はいまだ確実に宮廷のいろいろな儀式の中心になっている。南海の女王はいまだに定期的に臨席すると信じられている。Surakartaの王の即位記念日(jumenengan)には毎回、南海の女王とPanembahan Senopatiの結婚を物語る聖なる宮廷舞踊と宮廷音楽の9人の踊り子の中に登場する結婚衣装をつけて同女王は儀典室に常に出現すると信じられている。この舞踊は今に至るまでSurakartaで演じられており、ジョグジャカルタでは1930年代以降は演じられていない。ジョグジャカルタではこの聖なる舞踊を再興しようとしているが、踊り子の一人が病気になったり、上演前にほかの悪い兆候が現れたりするなどの障害に直面している。それ故、南海の女王はジョグジャカルタ王国でのこの舞踊の公演を許可しないという話が信じられるようになった。(Woodward, 1999:248) この舞踊の話からでもSurakarta宮廷の人達は、南海の女王の恩恵を確実に有していると感じるため気持ちに余裕を持っているのである。


                    南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(7)

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                        この話の内容は、Mataram国内のオランダ植民地政府の存在に対する宮廷内の意見が実際に存在したということを指し示している。まずは、G.W. Baron von ImhoffとJ.A. Baron van Hohendorf (Surakarta市のKartasuraの司令官でありSemarangの総督でもあった)が既に存在したことがあげられる。オランダ植民地政府と諸王との争いでは、彼らは南海の女王に対する問題を上げるのが常であった。Diponogoro王子の敗北(1930年)後、Langse洞窟で南海の女王に参詣するとともにアドバイスを仰ぐためにPakubuwono VI世は六人の部下たちと宮廷を去ったが、Mancinganでジョグジャカルタの知事であるJ.F.E. van NesとB. Sollewijn中佐に捕縛された。(Houben, 2002: 60-65) 植民地政府の記録に述べられたこのような行為はPakubuwono IV(1789年)とDiponegoro王子 (1805)に対しても行われたのだった。

                       後日ジョクジャカルタ側の勝利とはなったが、宮廷の伝統の中で、南海の女王の姿かたちもスラカルタとジョグジャカルタ側との政争に関係した。この件は、悪霊に誘惑された王子が注意を払わず道を誤り、南海の女王が怒ってSurakartaの王を「継子」と思ったので南海の女王はKasunanan Surakarta(Surakarta王宮)に対しては単に「継母」であるという、ジョグジャカルタの市民に知れ渡っている物語に見られる。この話は第二次大戦後にSurakartaの王家が衰退したとして解釈されている。このように、王国はジョグジャカルタにあってスラカルタではないとジョクジャカルタの市民たちの概念を構築し、さらにはMataram王国の発祥の地がスラカルタではなくジョグジャカルタであるという歴史にささえられているのである。<123>

                       

                      続く


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