第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(30)

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    Masigit Sela洞窟は、モスクの内部に似ているのでユニークでありNusakambanganの西部に位置する洞窟は一般的にMasjid Batu[1]と呼ばれているがMasjid Selaとも呼ばれている。この洞窟はもともとMasigit Sela洞窟という名であった。その内部はモスクの内部のようにアーチ形の天井で鍾乳石と石筍でかざられている。またその西側部分にはKiblat[2]の方向に向いたイマム[3]のいる場所に似た小さな隙間がある。

    他の部屋にも沐浴場に似た泉が見受けられる。それゆえ、天然のモスクとしての条件をかなえているのである。なお、入り口に大太鼓が置かれている。

    しかし、この洞窟をモスクと理解することから離れると、数百年を経過した上記の洞窟は現在Masigit Sela洞窟という名で知られている。この洞窟は現在Cilacap県の主要な神秘的観光スポットの一つになっている。

     

    [1] 石のモスクの意味

    [2] 礼拝の方向。その地点とメッカと地球中心をとおる平面と地球表面の交線の方角。

    [3] イスラム式礼拝の指導者


    第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(29)

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       Nusakambanganの南海岸沿いには、白浜海岸、Permisan海岸、Karang Bandung自然保護区などの生態系地域がある。Nusakmbanganの神聖さは魅力あるエキゾティズムと魅力も保持している。上記の刑務所の島には鍾乳石と石筍で埋め尽くされた多数の洞窟がある。Putri洞窟、Ratu洞窟、Masigit Sela洞窟、Penimbang洞窟、Sikempis洞窟、Lawa洞窟など、ほかにも多数存在する。
       多数の野生動物がいるマングローブの林の美しさを楽しむ以外に、水上村に立ち寄るとともにNusakambangana島の丘の麓にあるMasisgit Sela洞窟を訪ねることができる。Masigit Sela洞窟には管理人がいる。この洞窟には多数の神秘的な物語があるのは確かである。それ以外に信じられているのはソロモン王からWali Songoスカルノに至るまで彼らがここに泊まったということである。管理人の話では、高級官僚のみならず成功を願う一般人までこの洞窟で瞑想を行うとのことである。
       しかしこれらの神秘的な物語以外にMasigit Sela洞窟は、通り過ぎてしまうにはもったいないほどの鍾乳石と石筍の美しさを提供しているのである。

       


      第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(28)

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        第七節         NusakambanganのMasigit Sela洞窟の神秘

         海外諸国にまで有名なNusa Kambangan刑務所以外に、Cilacap(チラチャップ)には興味ある観光スポットがいくつかある。Widara Payungの美しい海岸は魅力ある観光スポットの一つでCilacap県に存在している。

        町の中心からたった35kmであり、500ヘクタールの広さを有するこの海岸は人々を飽きさせないのである。美しいWidara Payung海岸の最も印象的なものは大きな波である。

         Widara Payung海岸はサーフィンに適する波があると評価している国際サーフィン組織[1]がしばしば述べている高い波があることは確かである。傾斜している海岸に打ち寄せる高い波を見ているとそれ自身が観光客をひきつけることがわかるのである。この海岸でサーフィンや水泳をしない人たちは観光客に無償で提供されている馬に乗ることをお勧めする。打ち寄せ砕ける波を馬に乗りながら楽しむことはサーフィンや水泳以外の魅力を与えることは確かである。ここでどうしても回ってみたいのが、Segara Anakan海域の海の観光である。Tanjung Intan港から一人当たり5万から1万ルピアでCompreng船[2]あるいは小さい漁船を利用することができる。このSegara Anakanは、ジャワ島南岸にあるラグーンでジャワ島では最も完全マングローブの森で生態系を持っている。

         

        [1] Oraganisasi selancar internasional

        [2] 渡海船(あちこちの島を回る船)


        第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(27)

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           一方、Sendang Bejiはガジュマル(beringin)の木の木陰にある透明な泉であり、常に水がわいている。普通、ここへの訪問者はLangse洞窟で行ったと同じように透明な水を使う。Langse洞窟に向かう道筋には、ハンググライダーの滑走路として崖淵に平たんな場所が広がっている。ここからParangtritis海岸やOpak河口が見える。<194>言い伝えによると、この滑走路の下にはスカルノがオランダに追跡されたときに隠れたSiluman洞窟がある。

           


          第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(26)

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             南海の支配者との邂逅の場所という以外に知られているのはLangse洞窟内には神秘的な墓所がある。この墓地の存在は現在に至るまでそこに誰が埋葬されているかが不明なのである。この墓はアッラーの代理人(伝道者)の一人のものではないかと推測されている。学術的な証拠を必要としているのは確かだが、この墓はMaha Patih Gajah Madaのものであるというものもいる。確かにSumpah Palapanyaとして知られているGajah Mada大臣の遺物に似ている遺産がたくさん奉納されている。その故にこの墓地はいろいろな目的や願いを持った多数の人たちが参詣するのである。

             涼しくて静かなこの洞窟の雰囲気は精神集中や神の許しを得るための瞑想にとても役に立つのである。洞窟の外は、北側約20mに展望台があり、そこからは精神を落ち着かせる海の青さや打ち寄せる波、サンゴの山々が見える。体は疲れているとはいえ、こここそが瞑想体験を通じて同人に自然が残る南海の風景を楽しむことで参詣者が全能者[1]の恩恵を称賛する場所なのである。神の祝福を得るためによく参詣する場所でLangse洞窟からほど近い場所らはTapan洞窟とSendang Bejiがある。この両地点はLangse洞窟に向かう1km手前にあり互いに近くに位置している。Tapan洞窟は、王族の血縁であるが隠遁したNyai Langgengの苦行場であった。Langse洞窟の管理人うちの一人が語るところによれば、Nyai Langgengは彼女が父親の病気治癒を願うべく父親を瞑想のためにTapan洞窟まで連れてきたときには彼女は白い虎に見えたことがあったとのことであった。


            [1] わざわざここで「全能者」と言っているのはアッラー=主ではなく「神」を表そうとしたのではないか


            第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(25)

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               とはいえ、ここはLangse洞窟への道中の最終点ではない。この崖淵は肉体的精神的な挑戦となる道中の始まりでしかない。洞窟に着く前に芳名帳に名前を記載することを求められるとともに洞窟の維持管理のための寄付も求められる。ここから、ガイドさんに案内されて直接洞窟に至るのである。同地のガイドとともに訪問者は洞窟に至るには海面から300mの高さに屹立した崖に沿って進まなければならない。合計すると、崖を降りるのに直立した鉄の階段(別な地点に4段)を使わなければならず、ほかの部分では岩壁に生えている草の根や木や竹につかまって岩の崖を登らざるを得ない。海面から30mまで降りたあと訪問者は初めて洞窟に入ることができる。洞窟の入り口にはLangse洞窟への入口としてのSemarの石像がある。

               ジョグジャカルタの他の地域のものと比べてもLangse洞窟はより大きいと計算されている。洞窟の天井から多数の鍾乳石がありその長さは30mで幅は10mで、高さは20mある。洞窟の端には参詣者が普通に手足を清めたり沐浴するための泉がある。冷たく澄んだその水は高度のカルシウムを含んでいて、Langse洞窟までの大変な道中の疲れをいやすのである。泉の横には沐浴の後行う瞑想の場としての平らな場所がある。<193>


              第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(24)

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                 異なる両世界の支配者たちが出会った場所はLangse洞窟として知られている。この洞窟はジョグジャカルタ特別州Gunung Kidul県Panggang郡Girirejo村に位置している。現在に至るまで瞑想の場あるいは隠遁の場として知られているこの洞窟はジョグジャカルタから南方30kmに位置している。Langse洞窟それ自体は南岸の聖地地域の中に位置している。とはいえLangse洞窟は最も背筋がぞくぞくする聖地でもあり、最強のヨニを有していることで知られている。一方南海の女王陛下の苦情の場を構成しているがゆえに、「蚊帳の洞窟」を意味するLangse洞窟と名付けられている。いろいろな願いのための祈りを届けようとして毎日多数の人たちがこの場所を訪れている。Selasa KliwonやJumat Kliwon [1]の晩のような特別な日には訪問者が平均して30人を超えるのである。

                 ジャワ社会で恩恵の月と信じられているSuroの月でも、参詣者は毎日70人に達することがある。Langse洞窟までの道中は大変印象的である。Parangtritis海岸からLangse 洞窟までは東方にさらに3kmすすまなくてはならない。夜の道中はojek [2]が利用できる。このojekでも崖の淵までは行けず徒歩で果樹園の中の小道を750mすすまなくてはならない。その後チーク林の中150mほど進むと、巨石がごろごろしている崖淵 Plawanganに至る。その下には水平線で区切られた広々とした青い海が広がっている。Langse洞窟の北側に位置するParangtritis海岸も崖淵から見える。この崖淵の巨石の下には花びらが見られ、これは瞑想や祈願の場所としてしばしば利用されているということを意味している。<192>

                [1] この日の夜は霊界とつながる日とされている。ただしこの前日の夜からこの日の朝までの時間帯。

                [2] オートバイタクシー


                第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(23)

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                  第六節 Langse 洞窟は南海冥府の女王の休憩所

                   Dalepih Kahyangan洞窟以外に南海の女王と関連する聖地とされているのはLangse洞窟である。

                   1600年代には王国の初代王であるPanembahan Senopatiは、Pajang王国の侵略の脅威からこの地方を守るための啓示を受けるために南岸地方で苦行を行った。この苦行を通じてPanembahan Senopatiは後日、南岸を支配する南海の女王と知り合うこととなった。この出来事以来、Panembahan Senopatiはしょっちゅう南海との境となっている崖に貼りついている洞窟で南海の女王を訪ねた。<191>この洞窟はこの地区では神秘的な場所の一つであるばかりではなく、ほかにはTapan[1]洞窟とSendang Beji[2], Siluman[3]洞窟がある。神秘主義者や参詣者が最もたくさん訪れるのはLangse洞窟である。ジャワの土地の研究者であるオランダ人学者のHermanus Johannes de Graafによると、Langse洞窟は南海の女王陛下のとして存在するとのことである。それ故に、この洞窟はMataramの諸王がしばしば訪れたのである。おそらくこの洞窟でSyekh Siti JenarやSunan Kalijagaも瞑想を行ったことであろう。

                   

                  [1] 「修業場」の意味

                  [2] 「沐浴の泉」の意味

                  [3] 妖怪の一種

                   


                  第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(22)

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                    第三項 Sultan AgungはKahyangan Dalepihで修業した

                     Raden Mas RangsangはMataramのサルタンの三世でありPanembahan Senopatiの孫であった。彼が王座に就く前に、従者を伴って、彼の祖父が昔行ったようにKahyanganでの沈思黙考を行った。Raden Mas RangangはSela Penangkapを経由して直接Sela Gilangを目指し、そこで神の慈悲を受けるための瞑想を行った。

                     その場所でMas Rangsangは故人ではあるがあたかも生き返ったかのような祖父Panembahan Senopatiの魂と会わせられた。祖父の霊は彼にMataramでの王権を受けるべく祝福を授けた。さらに、光輝く王の傘の形をしたお守りを喜んで与えたのだった。Mataramが繁栄するように、後日Raden Mas RangsangがMataramを知恵の公平さで支配するようにである。続いて、Raden Mas RangsangはMataramに帰還して王位に上り、Kanjeng Sultan Agung Anyakrakusumoと称した。


                    第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(21)

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                      この数珠玉探しに固執する人たちの中にはNguntotronadiからKedung Pasiramanまで川をさかのぼって「1」 探すものまでいた。広く信じられていることによると、Raden Danang SutawijayaとSunan Kalijagaの持っていた数珠玉から作られた瑪瑙の石は生涯を通じて安全をもたらす力を有しているとのことである。一方、不幸に襲われる個人を助けるためにその石を使うことができると解釈している人もいる。例えば病気治療などである。

                      数珠玉を探す中にはWiroko川をせき止めたBaturetno郡のGaleng村の人までいた。それ以外に、Raden Danang Sutawijayaの数珠が切れてKekdung Pasiramanに散らばったあと、南海の女王陛下は南海から幸運の石を追加したようである。Raden Danang SutawijayaがMataramのサルタンになるという神の恩恵を受けた後、彼はRetno Dumilahを伴ってMataramに直ちに帰還した。Raden Danang Sutawijayaが出発する前、Ki PujuとNyi Pujuを呼びつけてDesa Dalepihの天界の森に残りこれを守るように言いつけた。この二人のしもべは霊になるまでも今に至るまでDalepihの森で待ち続けているのである。<190>

                       

                      [1] Wonogiri県のGajah Mungkur貯水池から東へ約10kmの区間


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