第五章 南海のSegara Sewu王国 (14)

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     この政権交代は1700年に反乱を起こしたRetna Yuwatiに不快感を掻き立てた。Retna Yuwatiは実際にDewi Angin-anginの一番目の弟子であり、女王陛下の姪でもあった。<169> Pacitan海岸での大戦争で、Ratu Ayuの軍は敗北を期し、ジャワの南岸地域の大部分は敵の手中に落ちた。Retna Yuwatiは「南海の女王」としと自称して王位に上った。組織的なRatu Ayuの指導とSunan Lawu (Sepuh)の魔力があったにもかかわらず、Rembang (Mpu Baradhah), Mantingan (Syek Jumadil Kubra), Suku Domas (Nyampo), Gunung Bromo (Dada Pekak), Blambangan (Maulana Ishak), Alas Purwo (Mahesalanang), Segara KIdul (Bengawan Danu)の各地のネットワークの活性化を推進した。ワリソゴの影響が内陸部の伝道組織を含めて、Banten, CirebonそしてTandes[1]で開花した。Retna YuwatiはRatu Ayuを退位させるのに成功はしたものの、Ratu Ayuの影響はAmangkurat I世[2]の統治下をはじめMataramの宮廷に及んだ。

     Dewi Kalayuwati (Retna YuwatiがRaung山のKalagandhamayitの妻になったためこう呼ばれるようになった)はDurga[3]の魔力を支配しDajal[4]の知識としての月の強さを吸収した後、超能力を持つようになった。Kalayuwatiの軍事力を強化するために海岸地域の人達を有害な方法であるいは金持ちにしてやるというような約束をして集めたのだった。同時に能力を向上させるために、命ある動物と人間あるいは血を提供する特別な伝統儀式を発展させた。Kalayuwatiの強さは多数の人間や家畜さらには幽体の犠牲のもとに出来上がったものだった。


    [1] スラバヤ西郊の町。北幹線沿いで、グレシック南方約10km。BantenもCirebonもサルタン国。

    [2] マタラムの第四代サルタン。在位1646年 - 1677年

    [3] ヒンドゥー教の女神で「近づき難い者」の意味。

    [4] 世界の末期に現れる悪魔

     


    第五章 南海のSegara Sewu王国 (13)

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       西暦1292年頃でまだ陰謀が制圧されていなかった時、Dewi Angin-angin女王はKalak山の庇護を願い、Ngusmanaji僧正と強力な軍隊を有するBegawan Danuの支持を得た。同女王は政治の中心地をSuryadhamar Nitakalapramesthi宮殿とともにKenarehenに移した。支配の中心地はSorebaya洞窟で、他方、魔力の発展の中心地となったのは、Kalak洞窟の宿舎とともにLempursewu修行場であった。この洞窟は、ParanggupitoあるいはKismantoroを経由するPunung-Wonogiri街道の横にある、Pacitan県Danareja郡Kalak村に位置する[1]

       第四代の南海の女王は、Dewi Angin-anginの二番目の弟子で西暦1549年に選出された、一般的にRatu Ayuという名で呼ばれているKencanawungu(統治1549-2003)である。この女王はヒンドスタン人[2]のような楕円形の顔で体型はすっきりとし、身長は約172cmの完ぺきな美人である。

       

      [1] 8.187597S, 110.954466E = S 8°11’15.35”, E 110°57’16”パチタンから西北西に約17kmの地点。

      [2] インド北部に住むいわゆる「インド人」


      第五章 南海のSegara Sewu王国 (12)

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         Retna YuwatiはRaung山出身のKala Gandamayitと再婚させられたので、Dewi Kalayuwatiの名で知られるようになった。上記の統治においてもRubikhan大臣とRetna Yuwatiとの間の抗争の影響が多数あった。KetanggaのTelengbumiに宮殿を置いたDurgaとその師となったエジプト出身のBortofonioの影響がRetna Yuwatiを制御できない状況に追い込んだ。Bortofonioは、ナイル河が地中海にそそぐ約50km上流側の西岸にその中心が位置する偽予言者(Dajjal)組織の首領であった。この偽予言者の主要な追随者たちはハイチのバハマのKalabagosにその総司令部を置いていた。ジャワ島における偽予言者たちの最大の中心地はSerangとPurwakarta、Tubanであった。

         Retna Yuwatiの必要性と野望のため、彼女はBantakasuksma級の宮廷の宝物の一つを盗み出し、その後、軍の最高の指令権を得て、Ratu Tilasih, Ratu Sri Sayeti Asmara, Raha Kumalareksa, Raja Abraham, Raja Gusmak Ali, Raja Jin Mahesa Kumaraの影響力を有する人たちを抱き込んだ。彼女の宮殿はPandan Segegeに正門があるとともに、Krakarauの南側のKrendhawahanaとTirtadhasar宮殿の横にあるKamale寺院群に宮殿の中心があった。Retna Yuwatiは影響力と魔力、ますます広くなる支配地域と軍の統制力を持っていた。このことはSegarasewuに二つの勢力の誕生を助長したのであった。


        第五章 南海のSegara Sewu王国 (11)

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           Segarasewu王国は紀元前851年頃にもNabi Khidir (知識の守護者)とJagal Abilawa (伝統の守護者)の助けを得てSang Hyang Tunggal[1]が建国した。Sang Hyang Tunggalは、Segara Anakan (Blambangan[2])の修行場に都をおいて紀元前851年から同451年まで統治した。

           四百年の統治の後もSang Hyang Tunggalは行政上の最高権限を、Ratu Dewi Angin-angin (BC. 451 – AD. 1549)という名で知られる皇后としてのDewi Kumarageniとともに、Sonji Tanjungbang (クリスマス島)の宮殿で統治を行ったAngin-angin王に譲り渡した。同王は紀元前239年に勃発した戦いで命を落としたので、行政上の最高権限は2000年間(BC 451 – AD 1549)にわたって皇后に移譲されることになった。皇后陛下はPanembahan Ismaya (神秘主義の顧問)、Samoa諸島出身のRubikhan (大臣)、Dyah Retna Yuwati (最高司令官)のサポートを得たのであった。Retna Yuwatiは若い頃にNi Blorongという名で知られたNagarejaの娘である。彼女の最初の夫はTunggulwulungでAji Saka II世の息子であった。

           

          [1] 日本語では「一人っ子の神様」という意味になろうか。

          [2] 東部ジャワのバニュワギ付近か。


          第五章 南海のSegara Sewu王国 (10)

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            第三節 西暦紀元前851年から2008年までの南海霊界王国の歴史

             

             南海の女王という呼び名は、彼女の支配下にある幽界社会の意見に基づいている。王国の支配地域は、ジャワの南海岸のみならず、北西ペルシャと中間部分、パプアを除くほぼすべてのアジア地域である。インド洋に加えて、マダガスカルのような南アフリカ、黒海、喜望峰である。現在、南海の王は幽界に存在するすべての王国の187人の大王を統治している。

             南海の女王の王国は、中部ジャワに位置するKrendhamangintenに支配の中心があるSegarasewiという名前である。<167>都が王国支配地域の南部にあるため、kedhaton kidul (南の王宮)とよばれ、その王は南海の女王と呼ばれている。南海の女王は、一定の条件を満たしているゆえに支配者あるいは最高位のエリートと認められて自称しており、この話は行政を構成している幽体のグループの科学的王道の執行である。この執行は立派であり科学の専門家という性質を持って行われている。上記の立派な性格とはpanatagama[1]とora lanangan[2]の要素である。科学的見地から、彼は試験に合格しなくてはならず、pecut pamutih[3]とkuku pancanaka[4]という王宮の至宝を握ることができるのである。

             

            [1] 宗教生活を統制する軍司令官で宗教上の指導者。

            [2] 男性性でないという意味か?

            [3] Pamutih氏の鞭

            [4] 影絵芝居のBarata Bayuiに関連する登場人物の武器


            第五章 南海のSegara Sewu王国 (9)

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               幽体への理解は語幹と理性では理解しがたいものであることを意味することはすなわち、感覚であり、所有している五感を通じて突然見つかるものではない。幽体は以下の二種類に分類される。(1)アルクルアン第6「家畜」章の第59節[1]にwa ‘indahu mafatih al ghaib「幽玄界の鍵はアッラーの御許にあり」と示されているような、それ自身が主張や何かの兆候を持たなかったりする幽体。(2)アッラーの存在やその性質のような主張や予言、それに関係することと、さらには幽霊や魂やその種類の幽界の住人に関する情報までも有している幽体である。

               

               信仰熱心な人の特徴は、見えないものについても信心深くなければならず、心の中にあるアッラーからの魔力ある光線に対して信心深い彼らは、このようにしてハディースの”al-mu’minu yandzuru bi burillah”「信心深いものはアッラーの光をみる」なのである。これとともに、魔力には二種類あって、その一つは他人から我々に対するものであり、もう一つは我々から他人に対するものである。我々に対して不可思議な他者の存在も魂の世界なのである。<166>我々の霊魂は、この現実世界をその源として五感で感じられる指導者にかかっている要因なのである。他者に対する我々の魔力が存在することもまさに幽体の魔力なのであり、すなわち、我々が物理的にその形を見ることができない神なのである。(al-Buruswi: 1995: 110-113)

               

               これから、air asin形式のデータに基づいて著者は南海の王国の簡単な歴史を研究することにする。著者もMT.Srifin (2008: 12-17)と同じ方法と、同じデータを掘り当てようとしたほかの情報源で調査を行ってみる。このデータはここ10年間にMT. Arifinが収集したもので著者も最近二年間にわたりデータの収集を行ったものである。

               

              第二節 終


              [1] 6-59.幽玄界の鍵はかれの御許にあり、かれの外には誰もこれを知らない。かれは陸と海にある凡てのものを知っておられる。一枚の木の葉でも、かれがそれを知らずに落ちることはなく、また大地の暗闇の中の一粒の穀物でも、生気があるのか、または枯れているのか、明瞭な天の書の中にないものはないのである。


              第五章 南海のSegara Sewu王国 (8)

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                 幽界は実に普通の存在である。南海の女王はこの幽界という文脈の中に含まれる。幽界の存在を理解するために、ここに続く情報以外に、幽界自身からの情報を得るように努力しなければならないことは確かである。宗教面から見た幽界はしばしば霊界とも呼ばれる。

                 幽体(gaib)とは目に見えず、五感に検知されず、実在せず、消滅し、不可思議であるものである。(KBBI 2006:326) 幽界と精神界の文脈では、幽体は沈み込むことを意味することが可能で(Munawwir, 1997:1024)、不可視になる。太陽を例にとると、太陽は地球の反対側にあるとは言え、夜間には存在しないことを意味するのではない。霊界とは我々の現実世界の裏側の存在なのである。だからそれはあちらの自然界でと述べたのだった。直接知るためには、現実世界の壁を通り抜けられるか、あるいは我々を霊界にどっぷりと漬けなければならない。信仰とは感覚の評価であるから、口先だけでなく信仰心を抱いている時ならば (Nawawi al- Bantani t.t.: 1/4)、幽体の件は、感覚であるとはいえ五感で感じ取れるものではない。そして命と魂が存在するという感覚がある。それは抽象的なものであり、見ることができたり、到達することができないのである。(al-Mishbah, 2002:1/91)


                第五章 南海のSegara Sewu王国 (7)

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                   この件を示している歴史上の記録の最古のものは西暦730年のものである。Sanjayaが支配権を奪還するためにGaluhからMerapi山に移動した時、南海の女王陛下(Rhyangta Kidul)の支援を願った。これに続く時代には、礼拝堂やSyekh Bela Beluと「南洋」としてのベトナムの外部のGagak Akingの伝説が存在することで強化された。

                   激しい自然と霊界、そして政治的要求の融合は、Kali Opakの河口から遠くない場所に位置する南海の王国に関する全ての伝説から南海の女王をその中央においたのだった。これで、女王陛下は美しくて優雅な女性として描かれるとともに、中華帝国が東南足性と呼ぶようになってから、海がその原因となっている自然災害をしょっちゅうもたらす故、尊敬し、礼賛し畏敬される永遠の著名人として受け入れられた。神秘主義に基づくと、南海からの自然災害はそのほとんどすべてが大自然に起因する。月や太陽の公転や地球内部から押される大陸プレートの移動、オゾンホールへの影響、極地での氷の溶解、さらには海岸の地理的変化である。これは気圧、風、潮汐、津波を含む波浪をもたらすものなのである。

                   これらすべてが南海岸の厳しさを補強している。十分な専門的説明もなく、十分な霊界の証明に関する知識も未発達であったし、非難される魑魅魍魎と南海の女王なのであった。<165>

                   

                   


                  第五章 南海のSegara Sewu王国 (6)

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                    第二節 南海の霊界王国への侵入

                     

                     ジャワの住人にとって、南海の王国は環境と生活に重要な海域であるばかりではない。自然と霊界への畏怖に関する神秘的なものも含まれている。ジャワは海に囲まれているとはいえ、人間界のための「海岸 = pesisir」として理解されているのは停泊が可能な北海岸(東海岸と西海岸の一部も含む)であるがゆえにpesisirと呼ばれている。というのは、pasir (砂)とpasar (市場)に関する機能も含まれているからである。南海岸は南海の自治領である「南海の王国の領土」と理解されている。この件は海岸と海域が存在する事実に基づいているのであろう。<164>

                     海から激しく吹き付ける風は大波を伴ってくる。陸地の一部は標高1000mにも満たない。緩やかな傾斜を持つジョグジャカルタからチラチャップの中間地域を除いて、その大部分は急な高い崖が石灰岩の台地の上に立っているとは言え、バニュマス層の海岸地域である。この海岸の存在で、多数の住民たちはこの海域での活動で命をつながなくてはならない。「霊界」と関連するSegara Kidulのミステリーは、この地域にあると疑われている霊界の渦に対する信仰とジャワの土地の住人の神秘的現実感は疑わしいものである。


                    第五章 南海のSegara Sewu王国 (5)

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                       一部のジャワ人の信心によれば、上記の従者候補の募集は南岸において南海冥府の女王が行うだけではない。MerapiとLawu[1]などのグループの山々の王宮の霊界の支配者たちの協力事業で、上記の山々が行う募集作業である。この意図された人たちが意図せずこの惨劇(募集)に遭遇する前に他の人がそれと教えてくれるので、時々この募集作業は失敗するのである。

                       この問題について、著者は同様な事件を経験したことがある。数人の友人と著者が1995年にLawu山に登山した時、そのうち一人がグループから離れた。幸いにしてそれほど遠くなかった。ジキールやウリッドを含んで接触を試みた後、最終的に行方不明になった友人の声がやや遠いところから聞こえた。著者は偶然にもLawu山地域のあちこちの場所をかなり知っていた。<162>その友達が歩きやすい幅広い道を見たためにこのまままっすぐ進むぞと叫んだ時、著者はその友達に立ち止まって待てと叫んだ。幸いにもこの友達は著者の忠告に従った。著者は彼を迎えに行き、目をすぐに閉じるように教え、息を吸い込んで数珠とともにタクビールを唱えさせた。その後著者は彼に目を開かせた。そこで見たものは、その友達を脅かせて怖がらせた深い崖の端から約50cmの場所であった。下山の前と麓に着くまで、著者は、他の人達には話さないようにと注文したが、そのすぐあと、我々は彼をグループに戻るように誘った。著者のこの体験はLawu山麓付近の住民に確認したところ、この事件は、Lawu山の支配者と南海の女王陛下が侍従を探して採用する方法の一つであると聞いたのだった。

                       

                      [1] ジョグジャカルタの東側にある高い火山。山麓には聖地が多い。


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