第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(20)

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     驚いたのはRaden Danang Sutawijayaであり、彼の意に沿わない行為をしたKi Pujuに激怒したのであった。Ki Pujuを追いかけた時、それを押しとどめようとした南海の女王陛下にRaden Danang sutawijyaの数珠が引っ張られ、Kedung Pasiramanに散逸したのであった。Ki PujuとNyi Pujuの魂は南海冥府の女王の召使となり、Dalepihの森の守護を命じられることなることで、Raden Danang Sutawijayaのこの目的は南海の女王陛下に留められた。このような話は今では神話となりたくさんの人たちに信じられているのである。<189>

     今に至るまで、Dalepihの森にいろいろな目的をもってたくさんの人が訪れている。瞑想を行うもの、Kedung Pasiramanに散逸したRaden Danang Sutawijayaの数珠玉を探そうとする者、さらには金持ちになって成功したいと願う者である。


    第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(19)

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       Mataram版では、南海の女王陛下とRaden Danang sutawijayaとの邂逅はRetno Dumilahと出会った後で起きたことであるが故に問題が発生したと述べている。南海の女王陛下はMataramにも止めことを許さなかったにもかかわらずRetno DumilahがMataramに戻ろうと誘ったため、後で南海の女王陛下が切れるまで数珠を引っ張ったとある。Raden Danang Sutawijayaの配慮で、二人の間に平和が訪れ、二人ともMataramのお妃になるという約束をしたのだった。南海の女王陛下は第一妃で一方Retno Dumilahは第二妃ということで了解された。南海の女王陛下はRetno Dumilahを妹として承認したのだった。その時、Retno Dulmilahは美貌を高める緑色の上着とparangklitikの腰巻を着用していた。後日の伝説によると、Delpihの森や南海岸に行く時にはいつでも緑色の上着とparangklitikの腰巻を着用して行ってはならないといわれている。犠牲を伴うこの禁止事項に反したときはいつでも、南海の女王陛下あるいは南海冥府の女王の家族にされてしまうと信じられている。


      第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(18)

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         この邂逅で彼らは熱愛して、南海の女王陛下は当初の約束通りMataram王国の建国と社会が平穏になることを援助することに同意した。その結果彼らは会うだけでは満足しなくなったが、背の低い草むらから一人の人間が覗いているのを感じて南海の女王陛下はショックを受けた。南海の女王陛下は人の気配を感じていたのでその身を隠すとともにRaden Danang Sutawijayaの数珠が切れるにようにしてKedung Pasiramanに落ちるように仕向けたのだった。<188>このRaden Danang Sutawijayaの数珠が切れて散らばったことは今に至るまでいろいろな種類の話になっている。

         Mangkunegaran版では、南海の女王陛下とRaden Danang Sutawijayaの邂逅はSunan Kalijagaの知るところとなり、彼がRaden Danang Sutawijayaを直ちにMataramに戻るように仕向けた。しかし南海の女王陛下はそれを禁じたため、数珠が切れてKedung Pasiramanに落とすようにすることでRaden Danang SutawijayaはMataramに戻るのを妨げられた。


        第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(17)

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           このようにして、Batu Pesalatanの近くにある澄んだ水の滝でRadeng Danang Sutawijayaは朝夕沐浴を行った。この滝つぼはKedung pasiramanと名付けられている。

           Raden Danang SutawijayaのDalepihの森での行動はこのようなものであった。Retno DumilahはDalepihの森に入ってはならないという許婚者の命令に従っていたため、栄養補給のための飲食物はNy Pujuが運んできたのであった。数日後、Retno Dumilahは他の人と同様に、Dalepihの森にいることを好んだRaden Danang Sutawijayaに嫉妬心を覚えた。

          その後Retno Dumilahは許婚者の行動を調べるようにKi Pujuに指示した。それ故Ki PujuはRaden Danagn Sutawijayaの行動を覗くべく森の中に向かったのであった。

           ちょうどその日、Raden Danang Sutawijayaは、Kali Opakの河口 (南海岸)での邂逅以来、彼の「妻」となった南海の女王陛下の来訪を待つべくこの石の上で瞑想を行っていた。この二人の男の出会いは気分が悪かったので、Raden Danang Sutawijayaは、瞑想の石から、より深い森に囲まれたselo Gilangに移ったのであった。


          第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(16)

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             とある日、Sunan Kalijagaの故事に倣って苦行をするためにDalepihの森にはいることをRaden Danagn SutawijayaはRetno Dumilahに許可を求めた。その目的地は到達するのに困難で神聖な場所であったので、Retno Dumilahは家に残ることにした。

             Dalepihの森を目指す道中で、Raden Danang Sutawijayaは、平べったい二枚の大きな石のところに至の、その石の上の端は互いに接していて人が通れる隙間があった。この石は現在に至るまでたっていてBatu Selo GapitあるいはSelo Pangankepと呼ばれているものであり、彼はこの隙間を通って旅をつづけたのだった。平らな洞窟のようになっている隙間がある巨石でそのうえが傘のように広がっている巨石まで来ると、彼は立ち止まり、そこで熟考を開始した。<187>熟考を行った岩はsela pauungあるいはbatu pamelenganと名付けられている。

             Raden Danang Sutawijayaは敬虔な回教徒であったので、瞑想のpatrap の方法で苦行を行っている間でも時間通りに行う五回の礼拝は欠かさなかった。礼拝の場に選んだのはSelo payungの南側にあるテーブルのように平らな黒く輝く石であった。この礼拝の石はSelo Gilangあるいはbatu pesalatanと名付けられている。


            第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(15)

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               免税地となったMentaokの土地は人がたくさん集まり繁栄することになったため、やはりそれ自身で王国になったのであった。<186> Danang Sutawijayaは自分が王の血族や王族でなかったので、皇太子としての安全性を心配していた。それ以外に、彼には配偶者としてのお妃候補がまだいなかった。それ故、Raden Danang Sutawijayaは神の恩恵を求めることとお妃の候補を見つけるための修行を行う時間を求めたのだった。

              Raden Danang Sutawijayaの修行の旅は東に向かうものだった。Madiunまで来たとき、彼はMadiunの領主Raden Ronggo Parawirodirjoの娘であるRetno Dumilahに出会った。Raden Danang SutawijayaはかれがMataramのSultanになった後でRetno Dumilahを妃として迎えるという願いを立てた。その前に、彼はRetno Dumilahがジャワの王の母になるというご託宣を受けていた。

               その結果により、しばらくしてからRetno DumilahはすぐにMataramに連れてこられた。Mataramへの道中でRaden Danang Sutawijayaは、アッラーの恩恵を得るためにSunan Kalijagaが苦行に使ったことがあるDalepihの森のことを思い出して、Raden DanangはRetno Dumilahと共にMataramにすぐに戻ることをやめて、Dalepihの森のKi Pijuの家にしばらく仮住まいすることにした。Ki PujuとはDalepihの森で毎日薪を拾っている農夫であった。その妻Ny Pujuは、コブミカン[1]の若葉から作られるとして極めて有名な(今に至るまでMadiun元祖で有名な、バナナの葉の容器に入れられたnasi pecel)を売っていた。

               

              [1] Jeruk Purut, Citrus hystrix


              第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(14)

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                第2項 Panembahan Senopatiが南海の女王に出会った場所

                 歴史物語によると、Raden Danang SutowijayaはKi Gede Pemanahanの実子でありPajangのSuktan Hadiwijayaの養子であた。彼は長じて強大な超能力と統治能力を持ったように思われる。彼の能力は、青年になる直前の少年時代にPajangに歯向かおうとしていたJipangの領主のArya Penangsangに打ち勝つことができたことで証明された。Haryo PenangsangはKi Gede PemanahanとKi Penjawiの戦略で支持されたDanang Sutawijayaの攻撃の戦死し、Ki PenjawiはPati Pesantenan、Ke Gede PemanahanはMentaokの土地を与えられることになった。

                 Ki Ageng Giringの予言によると、将来、上記のMentaokの土地は強大な王国になるだろうとのことであった。この予言はSultan Hadiwijayaの懸念を創り出し、彼はこのMentaokの土地をKi Gede Pemanahanに与えるのを延期したのだった。だいぶ時間がたってからSultan Hadiwijayaに対してMentaokの土地の問題の約束の実行を促すように、Ki Gede PemanahanはSultan Kalijagaに助けを求めた。その後直ちにMentaokの土地すべてがKe Gede Pemanahanに与えられた。


                第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(13)

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                   この数珠玉がまだ浮いているのを見たKi Widonanggoはそれを取り戻そうとKedung Pasiramanに直ちに飛び込んだ。しかし、Ki Widonanggoは数珠を取り戻すことができなかった。この行為により、Ki Widonanggoとその妻の霊は最終的にはDalepihの森で待つように言いつけられ。南海の女王陛下の部下になり、Dalepihの森の支配者となったのであった。

                  第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(12)

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                    第5節 Dalepihの天国洞窟とLangse洞窟の神秘

                     

                     KRT Wignyo Subroto, RM Ng Cipto Budoyo, RM Ng Sastro Purnomo BA (そしてTulus PEによって再度続けられた)Babad Tanh Jawaの話の抜粋によると、三人ともジョグジャカルタ王宮の文化と習慣をつかさどるKawedanan Hageng Punokawan Widaya Budayaの職員であり、Kahyangan Dalepihの森が聖地としてなった背景とは、Kahyangan洞窟がSunan Kalijaga (Wali songoの一人)、Raden Danang Sutawijaya (PajangのSri Sultan Hadiwijayaの養子)、Raden Mas Rangsang (Sultan Agung Anyakrakusmo)、Mangkubumi王子(Sri Sultan Hamengkubuwono 1世)たちが修行に使ったことがあった場所であるからである。

                     

                    第1項 Kahyangan Dalepihで修業したSunan Kalijaga

                     Dalepihの天国洞窟とLangse洞窟の神秘彼は聡明な段階に至ろうと修行を行った。彼はKi Widonanggoという名の忠実な生徒と知り合った。Sunan Kalijagaは礼拝の後で、数珠で数えながらズィキールを行うのが常であった。Ki Widonanggoがこの数珠を無理やりSunan Kalijagaの手からむしり取ろうとした。しかし、数珠のひもが切れて数珠玉がKedung Pasiramanに散らばってしまったためこのに悪だくみは成功しなかった。<185>

                     


                    第六章 南海の女王陛下と関係する参詣地の数々(11)

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                       彼は海上での栄光がインドネシアにとって大きな力をもたらすことを証明したのである。その結果、西イリアンがインドネシアに戻ってくることができた。海域でも隠された富が溢れている。その海域で我々は大国であるということを証明した。スカルノにとって、海は隔てるものではなく繋ぐものであった。これは南海の女王陛下の「夫」としてのスカルノの忠実さを証明している。現在、ポスト・スハルト以来、それほど海には注目してこなかった。その結果として島のひとつ一つが小さいと考えられ隣国に取られてしまうことになってしまった。たとえ小さいと考えられている島々でも、国家防衛の視点から見て戦略的位置を占めており、将来のための大量の天然資源を有しているものでさえ。南海の女王陛下は確かにインドネシア国の元首の妃として戦っているのである。


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