南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(27)

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     Dewi Rasawulanはそれを理解して許しを乞うた。その後、Syekh Maulanaは胎児を呼び出すことに賛成すると述べた。Syekh Maulanaが呼び出した直後にDewi Rasawulanの子宮から子供が生まれSyekh Maulanaの膝の上に直接落ちた。この赤ん坊は満月のように光り輝く顔をしていた。Dewi Rasawulanは自分の子供と宣言するには恥ずかしがっていたがこの赤ん坊に大喜びした。Syekh Maulanaは其の後、この男の赤ちゃんの両親は鹿のように修行をしていたから、この赤ん坊をKidang Telangkasという名前にしたいと申し述べた。<102> Dewi Rasawulanはこの子を育てるつもりはなかったがそれに賛同した。

     Syekh Maulanaによるとこの赤ん坊Kidang Telangkasは、夫と子供が死んだため35日間のプアサを行った後、Nyai Tarubという未亡人に預けされた。赤ん坊以外に、Nyai TarubはBraja Sangkuhと吹き矢を与えられた。この赤ん坊は長じてJaka Tarubという名になった。

     Braja Sangkuhは槍であったが、マタラム時代に至るまでRasawulanの子孫に代々伝わっているクリスに形を変えた。現在これはジョグジャカルタの王宮の家宝の一つになっている。

     

    続く

     


    南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(26)

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       木の上で瞑想をしている導師がいるとは知らないDewe Rasawulanは水浴をして身を清めたくなった。来ているものをすべて脱ぎ捨ててその池の水に入って水浴びをしたのだった。Syekh Maulana Maghribuの瞑想の後、水浴びをしているDewi Rasawulanの姿が彼の目に飛び込んできたので、熱情が芽生えて恋心に心が震えた。体内の感情に流されて彼はDewi Rasawulanと寝てしまったのであった。

       やがて、満足するまで水浴した後、Dewi Rasawulanは湖水から上がり、足を洗おうと水面を見た時、彼女は水面に美しい若者の顔を見つけ、美しい思いと感情に流され、彼女はこの青年とすでに床を共にしたことがあるかのように感じた。

       Dewi Rasawulanはその後そこを去った。確かにジャワの土地に諸王を遣わす最高の霊を呼び出そうとするアッラーからの運命になったとはいえ、Dewi Rasawulanは身ごもった。おなかがますます大きくなった後、Dewi Rasawulanは、樹上で瞑想していた導師に辱められたと感じた。Dewi Rasawulanはその池まで戻りSyekh Maulanaに会った。Syekh Maulanaが彼女をだましたと訴えたのだった。Syekh Maulanaは樹上から降りてきて恥部を引き抜き、それを直ちにBraja Sangkuという武器に変えた。彼は、Dewi Rasawulanに対して、彼は本当に妊娠させたのではないと説明し、これは将来良い影響を及ぼすアッラーからの運命であるとはっきり述べた。

       

      続く

       


      南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(25)

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        後世の神話の発展で、このSyekh Maulanaはジャワの大宮廷と深い関係を持つようになったと信じられている。

        物語は、Temenggung WilatiktaがSunan Kalijagaの妹であるDewi Rasawulanを、Sunan Kalijagaに先んじて結婚するべく呼び出したことから始まる。本人とは不釣り合いの結婚は最愛の兄の限度を超えていた(当時Lokajaya[1]の信用を得ていた)とDewi Rasawulanは述べている。それ故、Dewi Rasawulanは、後日両親からの恩恵を得るようになる放浪の旅の許しを得ようと父親に許しを求めた。Dewi Rasawulanはしばらく放浪していた時、Brandal LokajayaはSunan Boangnに従うことに気が付いてSunan Melayaという称号を得たのであった。(Santoso, 1979: 79-82)

        その時分、Dewi Rasawulanは放浪してGlagahwangiの森を目指し、鹿とともに生活して、南からやや東の方角に向かって食べ物と泉を探しながら、一群の鹿とともにさすらった。

        Dewi Rasawulanの一群の鹿は海(Parangtritis)からそれほど遠くない森の中にある澄んだ池に たどり着いた。その池畔には葉が生い茂る大木が沢山あった。葉が生い茂った大木の上でDewi Rasawulangは知る由もなかったが、メッカから来たSyekh Maulana Maghribiが修行をしていた。この導師は熟考しジャワのムスリムの共同体を作るべくアッラーに許可を得ようとしていた。しかし、まだ時は至らずアッラーはその許しを与えなかっただけだったのである。<101>

         

        [1] Brandal LokajayaはSunan Kalijagaの別名


        南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(24)

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          ++第一話 南海冥府の女王あるいはNyai BlorongはDewi Nawangwulanである++

           第一話は、Purwodadi県Tawangharjo郡Tarub村の村民たちと中部ジャワとジョグジャカルタの一部の人達の間で伝えられてきた伝説とともにBabad Tanah Jawiの各種の版にある物語との関係がある。この物語はParangkusumoのSyekh Maulana MaghribあるいはSyekh Ibrahimの墓地の存在と関係している。

           Babad Tanah Jawiのみならず口頭伝承でも、wali sangaの呼び名で後日知られるようになった多数の伝道師うち、Syaikh Maulanaはジャワ(中部)に最初にやってきた一人となっている。Syekh Maulanaはマジャパヒトが崩壊する前に遠方からやってきたのである。<100>ジョグジャカルタの人達の口頭伝承の物語によるとSyekh Maulanaはメッカの王の息子であり、ムハンマドの子孫であるとのことである。彼は住民たちをイスラム化するという業務を得た。その業務とは預言者ムハンマドの遺産である履物を示すことであった。彼はジャワの南部のSelatan地域にやってきたのでこの地区にいわゆる彼の墓地というものが存在する。

           

          続く


          南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(23)

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             このような事件が、南海の女王がうまく制御できなかったPatih Jawiの権力が存在する南海の王宮で発生することは確実なのである。上記の南海の女王の部下も女王のように姿を変えることができるのであることはいうまでもない。この件で、上記のSrandilの神秘主義者が見つけた、南海の女王と同質視される神秘的な出来事を見たり注目したり認識したり経験したことにより、人間はしばしば南海の女王に騙されたということは正しいのである。南海の女王、あるいは南海冥府の女王あるいはNyai Blorongと呼ばれるのは誰かということをはっきりさせるために、著者は以下に、上記の負の対極にある人物が確かに南海の女王ではないということを指し示す物語を紹介する。

             

            続く


            南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(22)

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               上記の説明は、南海の女王は、彼女とは性格が反対の代理人あるいは部下を持っているSegara Kidulの[1]支配者であるという理解を我々に与えるのである。

               上記の神話の現実性は、ジョグジャカルタの社会で信じられている伝説があることで強化されるのである。南海の女王が南海を支配する前、そこにはすでに王が存在したといわれている。この王は巨人女の形をしており、南海の魑魅魍魎達を支配していた。この巨人女の王は、異常な超能力で南海の女王に負かされてしまった。この王が負けた後、南海の女王が南海の王になりジャワ全土の魑魅魍魎を支配することになった。負けた王は後日、patih jawi(ジャワ全土を支配する)大臣に取り上げられた。この王は南海冥府の女王(Nyi Blorong)と呼ばれ、南海の幽界の軍隊を指揮することになった。<99>

               南海の宮殿にいるPatih Jawiの権力を見た時はいつでも、Hamengku Buwono IX世の治世以前のジョグジャカルタの状況を通じて、このpatihの権力をサルタンが制御できずに外部の権力(オランダ)にしばしば利用されてしまった、と説明できるのである。この事件は当時支配していたサルタンのイメージに影響を与えた。とある不公平さがサルタン自身かあるいは宮廷の高官たちの行動に起因しているかを一般大衆はふつう区別しないのである。

               

              [1] 南海


              南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(21)

              0

                 このように、南海の女王あるいは南岸の女王に関するいくつかの物語や伝承が存在する。どの話が正しいのかは各人の神秘体験によって異なる。同様に、南海の女王と南海冥府の女王が同一人物であるのかそうでないと解釈するのかも問題になってくる。著者自身は、この二人が別な人物であるという説である。南海に起因する日頃の行動や騒動、災害など良くないものを創造するのは、南海の女王の大臣であり将軍である南海冥府の女王なのである。それらが南海の女王の仕業であると理解する人たちが一般的である。この話の下にある説は、ジャワイスラムの神話によると誰が南海の女王であるかをもっとはっきりさせなければならなくなる。(この問題が正しいかどうか、著者はこれだけしか言えない。「神のみぞ知る」)。

                 前出のBabad Tanah Jawiにおける南海の女王の物語に関する解説は、南海の女王の存在に関してそれがすでにあったとする概念を与えるかあるいはそれを強化するものである。これらの概念からいろいろなアイデアが浮かび上がってきてそれには、例えば南海の女王は霊界のたいへん美しい女王であるとか、尋常でない超能力を保持している、何にでも姿を変えることができる、人生の守護神、平和の守り神、漁民に恩恵を与える海の支配者などがある。これ以外に、上記のイメージとしばしば相対する、本当はほかの人物によって演じられているというイメージも浮かんでくる。この件に関連して、Srandil山(Adipala, Cilacap, Jawa Tengah)を行動の中心としている生存しているジャワの神秘主義者は、南海の女王は人間に対して本当にwelas asih (慈愛が籠って)いると言っている。しばしば犠牲者を出すのは南海の女王の兵隊であるNyai Blorongである。このNyai Blorongはしばしば南海の女王にmemba-memba(あたかも南海の女王のように姿を変える)のである。大多数の人たちは彼らが南海の女王に対面しているのかNyai Blorongに対面しているのかはわからないのである。もしそうなら事故に遭うこともあろう。

                 

                続く


                南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(20)

                0

                   上記のPanembahan Senopatiの恋物語によると、今に至るまでジャワの王になったPanenbahan Senopatiの子孫は南海の女王とのはっきりした深い関係がある。この関係とは、新王の即位式での行列の時、サルタンの横にしつらえられた席は南海の女王のためであるから、王妃はこの行列には加わらない。

                   目には見えない幽界の支配者として、南海の女王はジョグジャカルタのサルタン国王が行政を行うための協力者となった。王国を転覆する種々の障害をはねのけるべく、同王は南海の女王の支援を得ることができるようになったのである。

                   あるいは、上記の南海の配者の有する超能力をつうじて、ジョグジャカルタ王宮の支配者たちは、国王あるいは王朝、その国民を転覆させる種々の危険を避けるための「ささやき」をしばしば与えられているのである。この件は、ジョグジャカルタサルタン国の諸王は系譜によるといまだに南海の女王の子孫を形づくっていると理解されうるのである。

                   

                  続く

                   


                  南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(19)

                  0

                     南海の女王はこう申し述べた。「そのとおりで、女王一人だけです。望むのは支配する者がいないことです」。Senopatiは悲しみながら笑みを浮かべて「恋心に効く薬を頂けませんか」と。南海の女王は色目づかいをしながら「私はdukunではないので薬を処方できません。殿下は大王であらせられるのだから、わたくしよりずっと多くのものをもち不足などないことははっきりしています」と。Senopatiは心中憤慨してはいたものの感情がたかぶり、南海の女王を抱き上げた。

                     その後Senopatiは三日三晩南海に滞在し南海の女王と夫婦として過ごした。Senopatiは人間界と幽界を支配する王になるのに必要な知識を毎日習ったのであった。<97>「姉上様、お教え大変ありがとうございました」と美しいSenopatiは言った。「そして、姉上様も信じていらっしゃり、その反対にMataramが敵に対面した時、あなた様に連絡するのは誰なのでしょうか?

                     

                    続く


                    南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(18)

                    0

                       南海の女王は、ジャワ地方に障害が生じたときはいつでもジャワの王を喜んで支援する幽体の女王なのである。Panembahan Senopatiと南海の女王との契約に基づいて、この二つの王国は必要に応じて互いに支援しあっている。Babad Tanah Jawiの中で(Sudibyo, 1980: 105-106)、後日両王国が相互支援をするようになったPanembahan Senopatiと南海の女王との恋物語について以下のように描いている。

                       Senopatiは南海の女王と異なる世界の住人であることを認識しつつ常に耐えていたが、彼は常に南海の女王に密着していた。南海の女王もSenopatiの感情を理解はしていたが常に慰めていた。Senopati ing Alaga[1]は微笑みつつ南海の女王にこう話しかけた。「姉上様、ご心中にあるように感情のせめぎあいをご覧になりたいようですね」。南海の女王は「問題はありません。私はお待ち申し上げているだけで、あなたにはその権利があります」と答えた。Senopatiは南海の女王に腕組みされて部屋に入った。二人は愛し合って結婚すると見えたのだった。

                       Senopatiはゆっくりとこう言った。「姉上様、寝室を見せていただいて大変驚きました。天国というのがこういうのでしょうね。生まれて初めてこのような美しい飾りを見ました。この所有者につりあって魅力的で整っている。姉上様はMataramにお戻りすることを厭って、ここにお住まいになることを欲しているのでしょう。しかし、ここには足りないものが一つだけあり、それは男性がいないことです。見目麗しい男性がいたらなんと素敵なことでしょう」。

                       

                      [1] Panembahan Senopatiの別名


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