南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(6)

0

    興味を引く事実とは、たぶんHamengku Buwono II世の時代に書かれたと思われるSerat Sekondharの中で南海の女王がオランダ植民地政府のPajajaran地域の支配とも関係していて、植民地の総督に「eyang =長老」という名を与えたりしたことである。この文芸作品は、Pajajaran王(南海の女王の甥)の子孫のうちの一人の結婚を通じて、南海の女王とBaron Sekendherとの血縁関係に関連したものである。この結婚はバタビアの総督たちを生み出したJangkung (J.P. Coenのあだ名)を生み出した。(Ricklefs, 1974:373-379)

    参考資料

    Serat Sekondharの中にこう述べられている。

    Dewi Mundingsariは光輝く膣を持っている魔術的な意味での「熱い」Pajajaranの王女であり、彼女と結婚できるのは異常な霊力を持つ男だけであったため、この女性と結婚できるジャワの王は存在しなかった。最後にはこの不幸な王女は男性のリンガに似た山門の大砲を結納金としてオランダに売られてしまった。Jan Pieterszoon Coenの父である神秘的なBarong Sukmul、ジャワでのオランダ人の先祖、は最終的にDewiMungdingsariと結婚し、Diponegoro往時のように19世紀に見られるジャワ人によってPajajaran王国の相続人として理解されている新しい王国をSunda Kelapa[1]港に建国した。

    出典: https://www.instagram.com/p/BFEsQ1nRVPM/

     

    [1] 現在のジャカルタ市北岸にある古い港湾。


    南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(5)

    0

       Mataramが分裂してKasusunan SurakartaとKasultanan Yogyakartaになった後、南海の女王をめとる権利はどちらにあるのか、諸王は迷った[1]。南海の女王を二つには分けられなかったのは当然であるが、合意に基づいて宮廷の遺産は二つに分割された。で、偏向したいろいろな話が後日出てくるのである。ジャワの諸王の霊界の妃にはもうならなくなったと伏せられた情報があるのは確かだが、おばあさんという呼び名で「長老」の位置に置かれたとはいえ、その一角には南海の女王と諸王との結婚話が確かにある。故Sri Sultan Hamengku Buwono IX世は、彼が数日間の断食のようないろいろな儀式を行った後、南海の女王を見たと説明した。月が上る時にはその人は美しい若い女性で、その反対に月が没する時にはさらに年を取ったおばあさんとして見えた。(Tahta Untuk Rakyat, 1982:247)。<122>この告白は南海の女王の長老としての地位を少し正当化するものである。

       

      [1] Kurang cair


      南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(4)

      0

         南海の女王の臨席はOpak川(Prambanan)[1]の戦いの勝利に関係づけられる。より多勢の敵をやっつけるため、SenapatiとJuru Mertaniは南海の女王とMerapi山の支配者の協力を求めた。Merapi山の噴火と土石流を伴い霊界の軍隊が大変にぎやかに到着した。Hadiwijaya[2]の幕営が壊されたあと、HadiwijayaはGilinganまで退却しTembayat[3]を目指し、最後には象から落ちてしまった。(Meinsma, 1874:90-91; Santosa, t.t.:264-267) <121>

         一方、Imogiriに諸王の墓廟群を建設した時、Sultan AgungはAlas Ketanga出身のResi Nayadi Dayaningratの忠告で南海の女王の支援を求めた。多数の作業員たちが死ぬ大量で頻繁に襲ってくる毒蛇の攻撃を退けるためであった。最終的にKyai PenghuluとTemenggung Wiragunaは森を切り開いて上記の墓廟群を建設することに成功したのであった。(Babad Sultan Agung, 1980: 56-62, 250-259)


        [1] Prambanan寺院群の南側を北東から南西にかけて流れる川で、寺院の対岸にはRatu Bokoと呼ばれる山上の遺跡がある。この遺跡は戦略的に良い位置にあり、砦などがあったはずである。

        [2] Pajang国の太守。

        [3] Opak川の東方約12kmの現在のKlatenに位置する。


        南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(3)

        0

          長いこと南海の女王の神話が出てこなかったが、「ジャワ年代記」で南海の女王とPanembahan Senopatiとの恋物語が語られた後、南海の女王はPanembahan Senopatiの王妃であるという伝説が生まれ、南海の女王の呼び名は新Mataram時代に再発見された。(Meinsma, 1974: 10,21,79-82,90-91; Wiryapanitra, 1945: 63; Santosa, t.t.:256-257, Olthof, 2007:93-98) Carita Parahyangan[1]とジャワ年代記の間で人物が異なっているだけである。Carita Parahyanganがその中で最初に述べて目的としているのは南海の女王であるならば、一方の南海の女王について述べているジャワ年代記では、この人は本当は南海の女王の第一の部下の一人の女王に過ぎない。

          Serat Centiniにおいて南海の女王は、Kahyangan Dalepih[2]で修業を行っていた女行者に関するSukuh寺院(1457年頃に建設された)のMajapahit碑文とつりあいが取れたKahyangan Dalepih (Wonogiri)の伝統に結び付けられている。すなわち、Jatha洞窟(Dalpih)のWodanonggaは南海の女王の娘であり、後日王位に就くTanjungbangのAngin-angin候の妻である。この二人の王妃はともにこのようにPanembahan Senopatiの随行者となった。Ratu Dalepih Ratu Kidul, kagarwa nJeng Senapati, dadya bu maru lan putra, rumeksa wahyaning aji「南海の女王のDalepih妃はSenapatiの妻ではあったがこの愛妾であり子供であり王を守護した」[3](Serat Tjentini, 1989:8/18-19)

           

          [1] パラヒヤガン物語 16世紀に編纂された古代スンダに関する物語。

          [2] 中部ジャワ州Wonogiri, Tirtomoyo, Dlepih村。正式村名はDlepihであり、観光地になっている。

          [3] 南海の女王のDalepih妃は上記の二人の女王はPanembahan Senopatiの愛妾であったとともに、実際にはこの二人こそが全てのマタラム王の子孫の保護者になったとはいえ、すべてのマタラム王の愛妾でもあった。(Sudarto Hs氏訳)


          南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(2)

          0

             SennaがMerapi山に逃げ込んだのはSoekmonoも書いているように、その理由はSiekmonoによるとSriwijayaの侵攻ではなくPurbasariによるとGaluh[1]からのものである。資料Carita ParahyanganもSoekmonoにPasundanの歴史資料として証明されている。(Soekmono, 1981:40) Mataram王国の都は、Canggal村のGunung WukirのリンガとSanjayaによって建設されたことがある寺院の遺跡によって証明されるMagelangの南西に位置するCanggal村に確実に位置していたので、Merapi山に逃げ込んだことは腑に落ちるのである。これ以外に、Merapi山は霊界の王国の都として信じられていたこともある。

             上記の文章で意味するRahyangta Kidulとは南海の女王自身に他ならない。Poerbatjarakaによると、Rahyangtaとは遠い昔に亡くなった人に対する古い呼称であるがゆえに、この呼び名はこの亡くなった人の霊を意味している。(Poerbatjaraka, 1975: 36-37) 上記の南海の女王とSenna王との関係は、その場所もKali Opak河口からそれほど遠すぎることはない、Syekh Bela-BeluとGagang Akingの話と関係を有すると思われるのてある。この聖人と古Mataramの背後関係に関連して、西暦732年から1000年頃まで存在した古Mataram時代から上記の河口に近い聖所になっていたという推測が出てくる。(De Graff & Pigeaud, 1985: 280-281)

             

            [1] ジャワ島チタルム河の西岸以西の地域を支配したスンダ人の王国


            南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(1)

            0

              第一節 ジャワ文学の中の南海の女王 <118>

               

               ジャワ文芸において、人間と関係する南海の女王に対する信仰の登場は八世紀以降に見られることは確かである。歴史家たちや研究機関や知識人たちの大部分が南海の女王の神話はジョグジャカルタのイスラム・マタラムの時代に登場したと述べている。一部の研究機関によると南海の女王は口伝の物語であり子供のおとぎ話に過ぎないと理解されている。他の一部は、大衆を組み入れる方法の支配政策の重要事項であるがゆえにマタラム王国の政治的に重要だと関連付けている。

               最古の歴史的記録の中にSanjaya王の下で西暦732年に古マタラム王国の建国に南海の女王がすでに関係したということがみられる。Sannaという名の最古の王が亡くなった後の繁栄期にMataram王国はSriwijaya軍の攻撃を受けて壊滅した。「Parahiangan物語」に見られるような脱出行で、SennaはMerapi山に避難し、その後Rahyangta Kidulに保護を求めた。<119>Na sang Sena diintarkeun kegunung merapi … ….Anggeuh sakamantrian lung aka rahyangta kedul. (Sena様はMerapi山にお隠れになり ……その高官たちはRahyangta Kidulに行ったという意図がある) (Poerbatjaraka 1975: 36)


              南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(45)

              0

                 上記の旅路でDewi LanjarはOpak川[1]に着いた。そこで後日、川に浮かんで苦行をしているマタラム王とSingaranu宰相に出会った。この出会いでDewi Lanjarは心に秘めていたことを話し再婚する気持ちはないと述べた。Panembahan Senopati[2]とSingaranu宰相はその話を聞いてかわいそうな気持ちになった。それ故、南岸で苦行を行うとともに南海の女王にも会おうと助言した。しばらくして、Panembahanと宰相はOpak川で苦行を続ける一方、Dewi Lanjarは南海の女王に会うために南岸に向かうため、彼らは別れたのだった。

                 この出会いでDewi Lanjarは南海の女王の部下にしてほしいとのぞみ南海の女王の了解を得た。とある日Dewi LanjarはGambirenの森(現在のPekalonganのAnim橋とRaden Bahuが火を作ったSorogenen村付近)を開墾しているRaden Bahuを妖怪たちとともに邪魔をして仕事を辞めさせるよう命令を受けたが、Ngalong (コウモリのような)の苦行で得たRaden Bahuの超能力により、Dewi Lanjarと妖怪たちの全ての誘惑は退けられたとともにRaden Bahuに従うことになってしまった。<116>Dewi Lanjarは義務を果たすことができなかったので南海に戻らないことを決め、Pekalonganに住むことをRaden Bahuに願い出たのだった。Raden Bahuと南海の女王がそれを認めた。Dewi Lanjarはジャワ北岸とくにPekalonganに住むことを許された。もちろんDewi Lanjarの宮殿はPekalonganのSlamaran川のほとりに位置していたのであった。

                 

                [1] ジョグジャカルタ市東方を南北に流れる川

                [2] 初代マタラム王。上記のマタラム王とは同一人物。

                 

                第三話終わり


                南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(44)

                0

                  第三節 南海の女王と北海の女王の邂逅

                   

                   Dewi Lanjarは現在に至るまで、まずはPekalonganの大衆の生活とその精神に影響を与えている伝説になっている。すべての出来事はDewi Lanjarとしばしば結び付けられており、海岸で遊んでいる子供たちが行方不明になる時はいつでも、Dewi Lanjarに連れていかれたと彼らは必ず考えるのである。子供たちが発見されたときはいつでも、この子たちは自分がとある地域あるいは我々のような住民がいる宮殿に迷い込んだというのである。彼らはバティックを作ったり、商売したり、職人や漁民など我々と違いはないのである。この地域はDewi Lanjarという美しい処女に支配されているのだ。

                   その昔Pekalonganのある所に光り輝くような美人が生きていたと語られており、Dewi Rara Kuningという名で有名な土地であると今に至るまでこの話は人々の口に上っている。

                   その波乱に富む人生の中でDewi Rara Kuningは大変重い悩みを持つことになった、というのはとても若かったにもかかわらず未亡人になったからであった。彼女の夫は結婚後まもなく死んだのだった。だからそれ以降Dewi Rara KuningはDewi Lanjar (Lanjarとは若年で離婚され子供のいない女性の呼び名)と呼ばれるようになった。夫に先立たれてからDewi Lanjarは常に悲しんで亡き夫のことを考えていた。この状態はしばらく続いたが、やがてDewi Lanjarはこのままにしておいては良くないと考えるようになった。それゆえに彼女は生まれ故郷を後にして、不運を嘆く心を共に放浪に出ることを決意したのであった。<115>


                  南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(43)

                  0

                    101.       天女Sekar Madhapi (希望の花を持つもの)

                    102.       天女Ratu Mas (高貴で選択する支配者)

                    103.       天女Mawar Sri (バラの花のめしべを持つもの)

                    104.       天女Putri Sri Wulan (美しい満月のような容貌を持つ処女)

                    105.       天女Retna Suwidi (常に規範を優先したり神の許可を得るもの)

                    106.       天女Angin-angin (天界の処女)

                    107.       天女Ratu Ayu Pagedhongan (最高の見目形をもつ美の女神)

                    108.       天女Nawangsih (愛のこだまを持つ処女)

                    109.       天女Nyai Mada (常に輝きを捧げる深い愛情を持つ母)

                    110.       天女Ayu Sawiji Sekaring Jagad (すべての装飾の花になる処女)

                     

                     上記の名前は、神秘主義の視点に見られる、守り育てる神の創造物としてその存在と個性、権力、やるべきことに基づいた南海の女王に対して与えられたものである。

                     南側のみならず北側も海に囲まれたインドネシアではないかという疑問がわいてくる。今まで、なぜジャワ神秘主義の表徴になった南海の女王のみなのであろうか?<114>北の湖には霊界の住民はいないのだろうか?

                    北の海の支配権は南海の支配者の元にあるが、北の海にも霊界の住人は確実に存在し支配者もいる。以下はその伝説である。

                     

                    (第二節終了)


                    南海冥府の女王 第三章 ジャワ社会における南海の女王と南海冥府の女王、北海の女王(42)

                    0

                      81.         天女Maderdyo Nyamuho (一緒になって話し合うことで用事を終わらせるもの)

                      82.         天女Papayu Sarupa (顔を守るものを使うもの)

                      83.         天女Hasmaralaya (愛の悲しみの基になる)

                      84.         天女Kasampatan (余裕を常に持つもの)

                      85.         天女Avalakitesvara (愛をもって心を喜ばせる)

                      86.         天女Sakirna (追い払うもの)

                      87.         天女Halyuna (共に心配の全てを終わらせる)

                      88.         天女Pawitra (清めるもの)

                      89.         天女Kanaya (常に神に追随するもの)

                      (訳者註:原文ではここまでの「天女」はBathariであったがここからの「天女」はDewiであった)

                      90.         天女 Welas Asih (慈愛を常に持つ女性)

                      91.         天女Pamuryan (後ろから援護するもの)

                      92.         天女Kencana Sari (黄金の花が咲いている女性)<113>

                      93.         天女Sanggramawijaya (世界を守護するもの)

                      94.         天女Sanggabuwana (全宇宙を共に支えるもの)

                      95.         天女Sanggalangit (天界を支えるもの)

                      96.         天女Cinde Wine (美しい妻となる準備をしているもの)

                      97.         天女Kandita (すべてを受け入れるもの)

                      98.         天女Ajar Cemara Tunggal (唯一無二の意味を知った聖者)

                      99.         天女Pradnya Paramita (宗教上の知識を支配するもの)

                      100.       天女Tanuraga (愛して欲しいと要求しないもの)


                      calendar
                      1234567
                      891011121314
                      15161718192021
                      22232425262728
                      2930     
                      << April 2018 >>
                      PR
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      • 南海冥府の女王 第一章 霊界に関するジャワ神秘主義 (29)
                        度欲おぢさん (08/29)
                      • 南海冥府の女王 第一章 霊界に関するジャワ神秘主義 (9)
                        度欲おぢさん (05/28)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第九章 胡椒交易争奪戦とマラッカ海峡 (26)
                        度欲おぢさん (01/09)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第九章 胡椒交易争奪戦とマラッカ海峡 (20)
                        度欲おぢさん (01/01)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第八章 Demak王国の衰亡 (12)
                        度欲おぢさん (12/06)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第七章 Demakイスラム国の建国 (2)
                        度欲おぢさん (10/29)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第二章 原資料 (34)
                        度欲おぢさん (09/23)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第二章 原資料 (9)
                        コピーブランドバッグ (08/30)
                      • ジャワ・ヒンドゥー王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 第二章 原資料 (6)
                        度欲おぢさん (08/27)
                      • ヒンドゥー・ジャワ王朝の衰退とイスラム諸国の勃興 前文 (9)
                        度欲おぢさん (07/04)
                      recent trackback
                      recommend
                      links
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM