南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(20)

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    他の場所で、Sutawijoyoを指導するためにKi Pemanahanによって差し向けられた長老のKi Juru Mertaniは失望してSenopatiに会うためにMataramの都に向かった。しかしながらSenopatiに会うことはできなかった。そこの守衛に尋ねてみると、夕刻から日没までPanembahanは外出していて、その外出先を守衛は知らなかった。しかしながら、Ki Juruは彼の甥の息子がどこに出かけたのかは知っていた。Lipuroに到着して、熟睡しているSutawijayaを捕まえることができ、「Tole、起きろ。お前は王になろうとしているといわれている。ここでのうのうと寝ていていいのか」と言って彼を起こした。ヤシの実ほどもあるおおきな星がSutawijayaの頭上に落ちようとしているのをKi Juru Mertaniは見たのだった。Ki Juru Martaniは驚いて、彼を起こした。「Tole、さっさと起きろ。頭の上にある月のように輝くものはいったいなんだ?」


    南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(19)

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      父親のKi Pemanahanからの依頼とPajhangのサルタンの加護で、Sutawijayaは父親を支配者あるいはPanembahan Mataramとして交替させた。Pajangのサルタンが彼にSenopati Ing Alaga Sayyidin Panatagamaという称号を贈った。Panembahan GiriとSunan Kalijaga候に言われたように、Ki Pemanahanは後でジャワの土地を支配する大王になる。父親のようにRaden Ngabehi Loring Pasar、Sutawijaya、はこの二人のいとこたちの星座占いの正しさを常に追求することになった。

      真夜中に向かおうとするとき、Sutawijayaは五人の護衛兵とともに宮殿を抜け出してLipuroに向かった。LipuroにはSenopatiが熟考する時によく使っていた平たい岩があった。そして続いて、熟考に適した滑らかな表面をもつ黒い岩であるKumulosoの上で寝たのであった。


      南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(18)

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        Ki Ageng Pemanahan自身には七人の子供がいて、Raden Ngabehi Loring Pasar, Raden Ambu, Raden Santri, Raden Tompe, Raden Kedawung、PajangのMayang県の領主と結婚した娘、もう一人はPajangのArya Dadap Tulisの妻となった。<130>Mataramに移住したのはこの四人の息子たちであった。

         

        Ki Ageng PemanahanはSunan Kalijagaとともに約束の実行を迫ったSultan HadiwijayaにMataramの土地を褒美として与えられた。1532年に、Ki Pemanahanはそこで最終的にKi Ageng Mataramとなった集落を開拓し始め発展させた。死ぬにあたってKi Ageng Pemanahanは、彼の後継者を息子のRaden Ngabeji Loring Pasarとする遺言を与えた。


        南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(17)

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          第二節 南海の女王とPanembahan Senopati

          これに続いて著者は、Babad Tanah Jawi Galuh Mataram (Santoso著)、BabadTanah Jawi Mulai dari Nabi Adam Sampai Tahun 1647(Olthof著2008年)、Islam JawaのWoodwardの要約 (1999)、”Ing Guwa Langse=天幕の洞窟にて” (Wisnu Sri Widodo著2008年)の三点の資料から抜粋して南海の女王とPanembahan Senopatiとの邂逅について語っている。本当はPanembahan Senopatiが出会って妻としたのは実は南海の女王ではなく、南海の王宮の高官になったRatu Andarawatiで、南海の王宮の女王DewiAngin-anginの第三子でもあり南海冥府の女王とも呼ばれている人であった。

          Panembahan Senopati (Raden Bagus Danang Sutawijaya)はKi Pamanahanの長男であった。系図をたどってみると、Prabu BrawijayaはDewi Wandan (肌の色が黒い女性)との結婚で、Ki Gede Tarubの娘をめとったKi Bondan Kejawuenが生まれ、Ki Ageng Getas Pendowo別名Syekh NgabdullahとKi Ageng Ngerangと結婚した一人の娘が生まれた。KI Ageng Getas Pendowoには、Ki Ageng Selo, Nyai Ageng Pakis, Nyai Ageng Purno, Nyai Ageng Wanglu, Nyai Ageng Bokong, Nyai Ageng Adibayaの六人の子供がいた。Ki Ageng Seloの子供は七人いて、後日Sutawijayaの父親となったKi Ageng Pemanahanの父親であるKi Ageng Ngenis以外は娘だった。


          南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(16)

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             ジャワの社会では、影絵芝居(wayang)に関する神話やジャワの日付に関する神話、南海の女王の神話などのように彼らの人生の参考の枠組みとして、いろいろな神話が利用されている。神話は象徴や概念を通じて聖なるものの存在を明らかにするということを意図している。(Dister, 1988:33)神の存在は遠すぎるので、宗教的訓練や神話という形を使って彼らの人生にそれを存在せしめるのである。聖なるものの存在は世界の安定を維持するためと種々の障害や人間の生命に影響を与える自然災害が起きないようにするという意図が込められている。前イスラム時代のみならずイスラム化した現代の人にとってもこの世界に対するジャワ社会の見方は彼らの人生にとって実に肝要なものである。南海の女王に関する話は、ジャワ人が興味を深く抱く幽体の存在に関連しており、この南海の女王の存在がまさにジャワ独自のものであるから、最終的にみられる神話は南海の女王に関するものであることは確かである。

             

            第二節「南海の女王とPanembahan Senopati」に続く


            南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(15)

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               確かにインドネシアの社会の一部の人は南海の女王に対する信仰を単なる神話としてしか理解しない人がいる。しかし、本当は、原則的に神話というものはジャワ人の一生と行動を認識するための原理として使われていることを思い出すべきである。南海の女王の神話はジャワ人の人生にたいへん大きな影響を与えているのである。Choyが「インドネシア、特にジャワでは、南海の女王の名前を知らない人は例外的である」といっているように、ジャワ人ほぼ全員が南海の女王がジャワ島の南に広がる海を支配する霊的存在であることを知っている。この存在は、南海の女王がすでに認識された文化遺産になってしまっており、世代間で受け継がれているということが証拠である。

               神話というのは口伝で代々伝わってきたものから出来上がった話であるから、多数の削除や追加を伴ってその話の展開はいろいろなバージョンができるのである。このようであっても、上記の神話の意図と目的は同じである。南海の女王の神話として知られているものの源への見方は少なくとも二つある。最初のものは、Penembahan Senopatiが南海の女王と関係を持ってからのものである。二つ目は、上記に記したようにマジャパヒト時代に書かれたKediri王国以降の物語が南海の支配者の存在について暗示しているものである。


              南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(14)

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                南海の女王とPanembahan Senopatiの出来事に対する宮廷の見方は、南海の女王の支配に対してこのようなWedhatama物語に記されている。

                Wikan wengkoning samodra.

                Kederan wes den ideri,

                Kinemat kamot hing driya,

                Rinegan segegem dadi,

                Dumadya angratoni

                Nenggih Kanjeng Ratu Kidul,

                Ndedel nggayuh nggegana,

                Umara marak maripih,

                Sor prabawa lan wong agung Ngeksiganda

                 

                大洋の果てを知り、全てを探検した

                魔力は心に入り込み、一つになって掌握した

                それ故彼女は王になった

                さて南海の女王は、天高く舞い上がり

                祈りのために戻ってくる

                マタラム王国に対する影響を打ち負かすために


                南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(13)

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                   昔々、後日王に即位することになるRadedn Sekar Tajiと結婚したPrabu Banjaran Setaの姉妹であるRetnaning Dyah Angin-anginという人がいた。この結婚から、Kliwon[1]の火曜日にRatu Hayuという名のお姫様が誕生した。この姫が生まれた時、天女とすべての霊的存在が臨席したといわれている。この女性は祖母のEyang Sindhulaによって、世界中で最も美しい女性になってほしいとRatu Pegedongと名付けられた。彼女は成人してあばたもなく、ビンロウの実を二つに割ったような母親似で本当な美しい女性になった。とある日、Ratu HayuあるいはRatu Pegedongが泣きながら祖母に美貌が永遠に続くことを願った。尋常でない超能力をもつ霊界となるように性質を変えるという条件で、Sindhulaの超能力で、美女のRatu Pagedonganの永遠の若さと肌で終末の日までの命を得ることができたのだった。

                   霊体にその形を変えた後、Pagedongan姫は南海全域を統治しジャワ全土の妖怪たちを支配する権利と義務を父親から与えられた。Pagedongan姫は一生涯伴侶を得ることなく、占いによると、将来ジャワを統治する大王と会うことになるとのことであった。<127>このこと以来、彼女は霊界の女王として君臨し南海全域の支配権を持つようになった。

                   

                  [1] ジャワの暦の日の名前Pasaranのひとつ。Pasaranにはpain-pon- wage-kliwon-legiがある


                  南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(12)

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                     南海の女王に関する多数の観点があるが、その観点の源になっているのは南海の女王がマタラム王国の建国とPanembahan SenopatiあるいはDanang Sutawijayaと関連性があるということである。

                     すでに述べた各種の物語以外に、宮廷の本にはやや異なる観点をもつ物語、詩人Yosodipuroの物語をもとにしたものがみられる。<126>Kediri[1]では、Jenggala王の王子でRaden Panji Sekar Tajiという名の、新領地を探すために故郷を離れたという話がみられる。新領地の探索時、白いガジュマルという名の白い葉を持ち長い気根を垂らした榕樹があるSigaluhの森に着いた。実はこの木はlelembut(霊的存在)がその王Sang Prabu Banjaran Setaとともにいる王国の都であった。

                     この土地の将来を信じて、Raden Panji Sekarはこの森の木の伐採を行い、上記の白いガジュマルの木も伐採された。この木の伐採でlelembutの王Sang Prabu Banjaran Setaは喜び、直接現実の世界に消滅することでその人生を完成したのだった。この消滅は、あとでRaden Panji Sekar Tajiの体内に入ることになる光の形をとったため、Raden Panji Sakar Tajiの超能力を高めることとなった。

                     

                    [1] 東部ジャワ西部にある古い都


                    南海冥府の女王 第四章 ジャワイスラムの古典の中の南海の女王(11)

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                       今に至るまで、特にSurakartaのみならずジョグジャカルタの人達も宮廷と感情的なつながりをもっているジャワの社会の一部の人達は宮廷と関わり合いのある人たちだけではなくジャワの人達の各個人の信念として南海の女王の存在に関して確信を持っている。

                       PurwokertoのBanyumas県の会議場で開催された2008年10月21日から24日にかけて行われた国際ジャワ文化フォーラムでのプレゼンテーションでのプレセンター、Surakarta宮廷の高位の人であるKPH. Dopokusumoは王子は南海の女王をどう見ているかという質問に対して、同氏は二つのことを回答した。一つ目は、南海の女王と王との関係は海と陸の両方の地域に関係している。王は陸を支配し南海の女王は海を支配している。それ故、この二人の「結婚」とは海陸を一つにして宮廷が支配するものである、と。二つ目は、大衆の宮廷に対する見解の基になっているいろいろな本や年代記に記されているような確信を宮廷の支持者は有している、と。

                       上記の観点の源になっているものは次に述べる、Babad Nitikから引用したもののようであるのだろうか。

                      “Gung pra peri perayangan ejim sumiwi Sang Sinom

                      Prabu Rara yekti gedhe dhewe”

                      全ての霊的存在は比類なく偉大な女王に祈りをささげる。


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